秋分の日を境に、東京もきのうは急に涼やかな風が吹いてきました。

photo:01



大崎下島の御手洗で見つけたこんな句。

瀬戸内の風待ち港だった御手洗は名だたる俳人が滞在し、その文化がいまに引き継がれています。

江戸の町並みを残す軒先には、季節の花とともに句が掲げられています。

素晴らしいですよね。

秋簾とは、夏からそのまま使っている簾のこと。

過ぎ去りし夏の盛りを懐かしむのと同時に冬にむかう時節到来に一抹の寂しさをこめた季語です。

船宿も同じく、人の往来の激しさからふと風をまって出払ってしまった宴のあとの寂しさを感じます。

秋風というと、

三国志の諸葛亮孔明の生涯を謳い上げた土井晩翠の「星落秋風五丈原」を思い出します。

浪人生のころ、この詩が大好きで朗読していました。

将来が、見えない環境でなにか奮い立たせる力があったんですね。

ただ秋風は、衰退の象徴でもあります。

満ち足りて「飽き」るのです。

あえて悠長な書生気質の誹りは受けますが、

いまおこっているさまざまな問題は、旧弊な体制やしがらみといったものへの「飽き」がもたらしているようにも思えます。

あきのあとはふゆ。

ふゆは、なぜふゆなのか。

再び中西先生の解説をかりましょう。

寒くて冷える「冷ゆ」、

そして震えるほど寒いことから「振ゆ」。

おそらく、ふゆも長い。


「晴る」「張る」「墾る」…

明るく見通しがよくなる「はる」はくるのでしょうか。

三国志の国と我が国の行く末に思いをはせます。




iPhoneからの投稿