たしか角田光代さんのエッセイだったか、
何十年ぶりかの幼馴染、友と時間を飛び越えて、すぐに打ち解け、きのう会ったかのように話しができるのは、
子ども時代のわずかな時間が、あまりにも素晴らしい瞬間(とき)だったからではないか・・。
わたしも強くそう思います。
考えてみたら、小学校なんてたった六年。
しかもそのうちのたった一年をともに限りなく愛おしく想える仲間がいることは幸せなことです。
オトナである時間のほうがもうずいぶん長いのに、
少年時代の一年間が凌駕することもあるのはなんとも不思議です。
校庭で始業時間ギリギリまで遊び続け、先生がこの渡り廊下を渡ってきたら、ダッシュで校庭から駆け上がり、先生と同時に教室にはいってセーフ。
予鈴というものがあるので、ほんとはセーフではなかったはずですが(笑)。こんなことが許されていた時代だったんですねー。
我々の担任は、本鈴がなってから、すこし時間が経ってから教室にはいってくることが通例でした。わざとじゃないかと思うくらい遅かった(笑)。
いまにして思えば、授業をしたくなかったのか・・それは冗談ですが、
子供たちは本来校庭で大いに遊ぶべし!という信念を持たれていたのでしょう。
よくそんなことをしゃべっていたような気がします。
だから、いまでも我々はこういった思い出話で盛り上がることができるわけです。
語り継がれる先生って、いまの時代少なくなってきているのではないでしょうか。
皆さんはいかがですか?
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