最近、野球物をなぜか読み直しています。
その中でも、やはり読むたびに発見があるのはこの本。
森、野村という捕手出身の希代の名将を現役時代のエピソードを丹念に掘り起こし、いかに器を形成していったのか。うまく描いています。
この本を読むたびに、中国の史書「史記」の列伝を思い起こします。
ひとりは、巨人V9戦士のひとりとして名前を刻まれながら、本流とは異なる人物との邂逅で、その後巨人とは交わることのないキャリアを歩き、
ひとりは名捕手兼スラッガーとして抜群の成績を残しながら、長嶋、王という大スターの影として、その存在感を自ら「月見草」と表現しました。
しかしながら、ふたりは、監督というキャリアにおいては、大スターを凌ぎ球界を代表する人物となりました。
その淵源は、捕手が近代野球に求められる「野球を科学分析する」という能力を磨くうえでもっとも有利な立ち位置にいたということと、
ある意味、それをやり通せる性質を備え、実践の中から、本質を抽出し、独自に理論化、体系化をはかる才に恵まれていたからでしょう。
その特質を持って、キャリアを磨き、類まれな戦績を残したふたり。
しかし、ともに最後は、組織の論理によってチームを追われました。
史記の列伝には、才に恵まれながら、それを発揮することなく散った人物、大功を立てながら晩節を全うできなかった人物があまた描かれています。
人が脚光を浴びて仕事を成し遂げることができる時間は実に短いということを自覚したいですね。
天の時、地の利、人の和とはよく言ったものです。
森さんの言葉をかりれば、
この運ともいうべきタイミングは、
苦しみ抜いたことがある者しか訪れないと言います。
肝に命じたい言葉です。
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