吉田繁治先生の『国家破産』とたまっていたメルマガをようやく読了しました。
いつも思うのは、
人を動かす力というものは、
「共同幻想」と
「科学」であるということ。
ちょっとマルクスっぽいんですが・・。*「っぽい」というほどマルクスを理解していないのですが・・(笑)
吉田先生の論考はいつもこのふたつを意識させてくれます。
共同幻想は、
まさに、金融、経済の世界、しばし経営の世界にも入ってきます。
科学は、
共同幻想に陥らないための、客観事実、数字による分析、予測のツールですが、
ときに科学は共同幻想に支配され、
共同幻想もまた科学に左右されます。
科学的経営をしているつもりでも、実は共同幻想の中で意思決定しています。
共同幻想も維持継続するためには科学が不可欠です。
なにをするにしても、この二つから逃れることはできません。
大事なことは、このふたつの作用の仕方によって、自分の判断、決定がなされることを意識し、逃れられないという前提に立つことだと思います。
このふたつに対して自分がどのようなスタンスに立ち、判断基準、根拠をどこに求めるか。
明快にしておかなければならないなと思います。
頭では理解していても、実際、常にそうすることは、難しいですが…。
私が思いつくかぎり、この明快な実践者の最たる人物は、やはり福澤諭吉ではないかと思います。
『福翁自伝』なんか読むと、とくにそう感じます。
「幕末」という時期にあって、志を切り結んだ幾多の人物たちのある種の連帯とはまったく異なるスタンスを終生維持し続け、
そうはいいながら、「脱亜入欧」といったこれまたある種の共同幻想のバックボーンたりうる論理を提示しました。
福澤諭吉は、
「自分には大親友はいない」と言います。
『福翁自伝』の見事な現代語訳を出した、明大の斎藤孝先生は、
「こういう一見冷めたように見える対象との距離の取り方が抜群にうまい。それは対象が自分自身であってもかわらない。自分の心とも過度にはかかずらわない。それが自分とうまくやっていくための最大の秘訣となっている。」
そして、
「そうやって自分とうまく付き合い、自分の気質も知り、それをもとに環境に対応していく、福沢の合理性とはそういう性質をもっていてそれが、さわやかさ、バランスの良さ、そして『結果』にもつながっている」
と看破しています。
孤立を恐れず、自身の考えを曲げずに、結果を残す人は稀有ですが、それを可能にするひとつの資質を示しているのではないかと思います。
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