久しぶりに紐解きました。
いまから10年前に出た本で養老孟司さんと宮崎駿さんが対談した本です。
宮崎駿さんという人は実に対談が魅力的な人です。
対談企画は、ある種の化学反応で、ただ有名な人、旬な人を引き合わせるだけではまったく面白くありません。
かといって、テーマに基づいた最初からシナリオが予見できるような対談もつまらない。
ある程度、テーマはあっても、結論が読めない、逆にここからどんなテーマが出てくるのか。予想がつかないところが対談の妙であり、編集者の技量が問われるところです。
私は、ジブリの鈴木敏夫さんが、『アニメージュ』という雑誌の編集長時代、宮崎駿さんといろんな方々を組み合わせた対談企画が大好きでよく読み込んでいました。
ちょうど『風の谷のナウシカ』がヒットする前で、ナウシカがヒットした後もすこし続きましたが、これがかなり面白く、私もかなり影響を受けました。いま読み返してもけっこういろんな発見があります。
コナンやカリオストロの城でマニアの世界では評価が高い方でしたが、一般的には、無名と言ってもよい40歳という遅咲きのアニメーション監督が、自分の世界観をベースに実に好き勝手なことを言っていることが多いのですが(笑)不思議な魅力がありました。
後年、鈴木さんがあるインタビューで、
「あのとき彼は作品をつくる機会に恵まれず、雑誌でシュナの旅などを描いていたが、先の見えない中、焦りもあったようだ。だから対談もそのときの心象が如実に表れている」
とおっしゃっていましたが、
読み返すと、なるほどそうだっんだなあと思える場所がちらほら。
ですが、当然私はその頃、高校生くらいで、そんな背景などわかりません。ただ宮崎作品のモチーフにつながる児童文学作品や冒険小説、探偵小説がたくさんでてきて、私もその頃、漠然と本に携わる仕事がしたいなと考えていたので、「面白いなあ」と思っていた程度。
カリオストロの城に出てくる「お宝」のモチーフが、本家ルパンの『緑の目の令嬢』だったとかそういうあまり世間で役に立たない知識を詰め込んでは、満足していたんですねえ。(笑)
そう考えると、対談というのは、なにがという「テーマ」ではなく、やはり「人」の魅力なんだろうと思います。もっといえば、独善的でもいい強烈な世界観を持った人の魅力。
あの、アニメージュの企画も鈴木さんによる友人のためのサポート企画という側面もありましたが、やはり自分が面白いと見込んだ人間、その人自身の本質を見せることで、後年成功していく、宮崎駿さんの世界観、ジブリの哲学みたいなものの種を読者の心に蒔いていったのではないかと思います。
だから作品は作品で面白いわけですが、
宮崎駿さんという個人的な世界観の魅力がなければ、そのパワーは半減していたかもしれません。
『千と千尋の神隠し』なんてその代表みたいな作品です。
小学五年生のわがままな女の子が、引っ越しの途中、神隠しにあってやおよろずの神が訪れる風呂屋で働くハメになったが、周囲の助けを得て一生懸命に働き、ついには豚に変えられていた両親を救う。
これなんて、消費者のニーズやウォンツを探しあてるマーケティングツールを駆使したって出てくるストーリーではありません。
個人の勝手な世界観や価値観が世間の鑑賞に耐えることは稀ですが、小手先のマーケティング論に勝る幸福な例です。
そう考えると、この時代は、個人の情報発信が容易く、玉石混交ですが、ユニークな世界観を見出す機会に恵まれています。
独白的なブログや一方通行メルマガも「人」によってはもちろん面白いですが、それこそ、『ほぼ日』の糸井重里さんや村上龍さん達がずいぶん前からやられていた対談のようにユニークな世界観を持つもの同士の化学反応の面白さを打ち出して世界観をつくる方法論をもう一度試してみたいなと考えています。
それこそ、もうひとり私が常々この方の対談は面白いなあと思っている漢字学の泰斗白川静博士。
白川博士も宮崎駿さんもハングリーの時代の対談がすこぶる面白い。
ハングリーな新たなお二人を探さねばなりません。
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