有名なマズローの欲求の5階説をご存じの人も多いでしょう。




アメリカの有名な心理学者、アブラハム・マズローが唱えた、「人間はなにによって動機づけられるのか」ということを5つの階層で示したものです。




1)生理的欲求




2)安全の欲求




3)所属と愛の欲求




4)承認の欲求




5)自己実現の欲求




これは1)の低次元レベルから5)までの高次元レベルの段階別に分類したもので、




簡単に内容を説明すると、




1)生理的欲求とは、




お腹がすいたから食べる、疲れたから休むという欲求



2)安全の欲求とは、




安全で安定性を求める状況を求め予測不可能な状況から脱したいという欲求



3)所属と愛の欲求




孤独を避け、集団に属し、愛情や友情を得たいという欲求



4)承認の欲求




他人から承認され、尊敬を受けたいと思う欲求、自分はできるのだという自信を持ちたい欲求



5)自己実現の欲求




人間が潜在的にもって生まれた能力を開花させ、自分がなりえるものになろうとする欲求、自分の潜在能力や潜在能力の実現を求める欲求




月刊MDの常連筆者の一人、POPコンサルタントの第一人者石川香代さんは、POPもこの5階層別にターゲットを想定して考えると書きやすいと言います。




たとえば、「あなたの肌乾燥しています!」というのは1)ですが、




「かれに愛される肌をつくろう!」は3)になりますよね。




「肌美人になろう」というのは万人に認められることですから、4)でしょうか。




さすが石川さん、よく考えていますね。




5)だと「あなたの肌はもともと美しい・・」「あなたはもっときれいになれる」というかんじですかね。(笑)




ドラッグストアのPOPはどちらかといえば、1)-3)、せいぜい4)くらいまでのほうがインパクトが強そうです。




さて、なぜこんな話題を出したかといえば、




先日の箱根駅伝。




東洋大の圧勝で幕を閉じました。




「山の神」柏原さんの「仲間が一番にきてくれて嬉しくて、がんばろうと思った」というインタビューがありましたが、




これは、3)の欲求と同時に、




区間新記録という自己との闘い、つまり5)の欲求を追求しつつ、結果4)を得たという解釈ができるのかなと考えました。




まあ順番はどうでもよいでのすが、




駅伝が野球と同じように日本人から愛されるのは、




日本人の多くが、




「各自が己に課せられた部分的課題=仕事」を着実に行って大きな目的(優勝=全体最適)を成し遂げるということが、




他人の評価や自己実現につながっているといることを端的に認識しているからなのでしょうね。




野球も打順と守備位置でそれぞれの役割が明確です。




*サッカーやほかのチームスポーツももちろん役割がありますが、動的な要素も大きく、駅伝や野球は静的な要素が大きいという点で同じ特性を持つと考えています。




今回の箱根では新記録が生まれましたが、これはスター選手である柏原さんだけでは達成できませんでした。




これがより一層、集団における「個」のあり方の理想形を際立たせています。




つまり個人の自己実現欲求をチーム全体の目標と同期化することで、最大成果をあげるということです。




チェーンストアのチェーンは「くさり」を意味しています。




チェーンストアのつよさとはこの「くさり」の強さといいます。




各自の責務を果たすことで全体を強くする・・こう考えると、駅伝は理想的なチェーンストアの形と言えそうです。




毎年同じ場所を走り、同じユニフォームで、ひとつの襷をつなげる。




この極度の形式化は、3)の所属の愛がベースになっています。




これは企業にとっても重要なことでしょう。




かつての高度成長期の大企業群がとった方法です。




社員旅行に、支店対抗運動会・・




これが日本的経営の強さと言われた時代が長く続きました。




90年代後半から、3)の所属、愛よりも、4)や5)が重視される時代になりました。




例が適当かどうかわかりませんが、




イチロー選手は、誰もが認める大選手ですが、残念ながらチームとしての優勝という栄光は浴していません。




これは運もあると思うのですが、




それが、「個」ではなくて「集団」に価値をおく人々の批判につながっています。




「個」の成果と「集団」の成果を同列に扱うことは、論の立て方としては適当ではないのかもしれません。




しかし、「個」と「集団」はきってもきれない問題です。




私は、「個」と「集団」のあり方の理想形として「これ」とはっきり言い切れるレベルではありませんし、できないでしょう。




いまできるとすれば志向の違いを明確にすることだけです。




ただ志向の違いはあれ、「個」と「集団」の立ち位置や考え方というものを常に意識するということは重要ではないかと思います。






読者の皆さんと一緒に考えていきたいテーマです。