最近、40歳ということをえらい意識します。


facebookの登場で同世代の情報交換が容易になり、


オン、オフでの交流が盛んだからでしょうか。


先日も石巻に取材した際、終電までのわずかな時間、


仙台駅で、東北大学の准教授をつとめる幼馴染と会いました。


震災直後から電話やメールでやりとりをしていましたが、会って話をするのは5年ぶりぐらいです。


幼馴染はいいものですね。5年ぶりでも、昨日会ったかのように仕事でもプライベートでも話ができます。


かれの専門は化学で、超薄膜汎用ポリマー開発の基礎研究分野では業界で知られた有力研究者になりました。


かれはポストに就くのは遅かったけれども、産業界からは今後が期待されている若手の研究者だそうです。


わたしもかれとはジャンルも立場も異なりますが、いい刺激を受けました。


お互い40歳にもなれば、親のこと、家族のことを再認識する時期です。


この間、ともに親が大きな病気を患い、親の有り難さと、どのようにこれからの人生を送ることが幸せなのか。


自分のことで精いっぱいと思っていたけど、そう考えざるを得ない状況に陥ったところは同じで、


この日も、そんな話になりました。


お互い小学校からの付き合いです。


子供のころに見ていたお互いの親の顔を覚えているわけですから、お互いそのときの親父の顔にそっくりになっています。


子供のころにいろいろ褒められたり、怒られたりしたお互いの親を覚えているからこそ、人ごとではありません。


私の場合、両親は東京にいるぶん目が届く範囲なのですが、かれの実家はまだ山口にあります。


かれは二人兄弟で、かれが仙台、弟はインドネシアにいます。


「なんとか呼びたいけど・・」とかれもいろいろ悩み、考えている最中です。


さて、前置きが長くなりましたが、


40代を意識してか、書店に寄っても、以前ならぜったい手に取ることのなかった、


いわゆる「○歳までやっておくこと」「○歳ではやってはいけないこと」・・シリーズなんかも、


手に取るようになってしまいました。(笑)


お手本はリアル人物にあり!というのがわたしの信条でしたから、


いわゆる自己啓発本を読んでなんとかなりゃ世話ないだろ・・と思っていたのですが、意外と面白く読むようになりました。


まあ、「はァ~?」と思う本も多いのですが、


中にはけっこう食わず嫌いだったなあと思う本もあって、版を見たら60刷以上増刷していて、


「あー、やはりいい本はあるんだなあ」と思いました。


そんなこんなで、


琴線に触れたフレーズは、手帳に書き留めておくようになりました。


ただ、この手の本は、編集者がへたくそなのか、


筆者が書いた本文はとても読ませるものがあって、いいのですが、


本文のうしろに、編集者による余計な「まとめ」がありませんか?


これがけっこう本のレベルを落としてしまっているように思います。


たとえば、


本文では、とてもいいエピソードとたとえ話があって、なるほどーと思うのですが、


余計な「まとめ」で、


「40代は内面を磨け!」ってあるんです。


ちょっとガクッときますよね。(笑)なんでじゃい?どうやるんじゃい?って突っ込みたくなります。


本文では、


「マニュアル通りにやっても結果が異なるのは、内面を磨いているかどうか。


カメラはだれでもシャッターを押せば写るけれど、写真の仕上がりがまったくことなるのは、


被写体の捉え方、ピントの合わせ方が異なるから。そもそも写真というものに対してどう考えているかによっても違いが生じる。


これはすべて内面的な差から生まれる」。


こう書いてあれば、


「そうかあ、小売の接客マニュアルもキャリアや内面の磨き方によって、全然その表われ方が違うもんなア」


と自分の課題や興味にとぶことができます。


ノウハウ本や自己啓発本のセオリーのひとつは、


長い本文をあとでワンフレーズのまとめをつけるということと教えられます。


ワンフレーズはたしかにわかりやすいのですが、


それだけでは、まったく応用が利かないということです。


応用というのは実践できることです。


つまり、本で得た知識、原則を自分の問題に置き換えて、解決方法を探ることができるということです。


基本や原則というものは、遠回りしてはじめてわかるという言葉がありますが、


内田樹先生などは、これを「とぶ」と表現しています。


ワンフレーズだと、前後の文脈がまったくなく「とぶ」ことができません。


そもそも、40代にもなって、ワンフレーズのわかりやすさを求める人って、よほどのアホではないかと思ってしまうのですが・・。


たぶん、この本はせっかく内容がいいのに、若手がセオリーどおりにつくってしまっているので、レベルを下げています。


先ほどの60刷を超えている本は、余計な「まとめ」など一切ありません。


アイタタ・・と思うようなシンプルなサブタイトルと本文のエピソードでできあがっています。


雑誌や書籍を作っている以上、「わかりやすさ」を追求していかねばと考えていますが、


一方で、「わかりやすさの罠」というものを認識してこれを追求しないと、大きなけがをすることになります。


小売業も他の成功例をすぐマネする風潮がむかしからありますが、


成功例の文脈を読みとらないで表層的なモノマネに終わる人がほとんどです。


小売業の成功者たちは表に出ているわかりやすい現象を支える本質を見抜き、わが店の課題解決に「とぶ」ことができた人です。


橋下市長のネガティブキャンペーンをはった雑誌の中づりを見れば、


橋下さんが、さも暴力団と関係があり、その血が脈々と流れている・・と勘違いする人も出てくるでしょう。


橋下さんの反論は実に見事でした。さすが元(!?)弁護士です。


「かれらの論法でいえば、暴力団だった親父をもつ俺の子供も、暴力団の血脈が流れていて、それがなにか悪いことをしでかすのではないかと言っているに等しい。それだけは絶対許せない」


すでにこれらの雑誌はジャーナリズムとしての命脈が尽きていますが、


これも「分かりやすさの罠」におぼれ「スキャンダル誌」になり下がった「えせジャーナリズム」の末路の例として学んでおきたいものです。