最近、菊澤先生のことをブログで書きまして、ご著書を読み直しておりましたら、
あらためて、いろいろと気づくことが多いですね。
菊澤先生は、最新の経済理論をつかって組織に内在する諸問題を読み解き、経営学に結び付けることを専門のひとつにされていますが、
旧日本軍の組織問題をよく題材につかっています。
それは、近現代最大の組織の盛衰こそ、その事例の宝庫だからです。
先般、取り上げた「命令違反」に関する考察では、
中部太平洋のペリリュー島において72日間も米軍の侵攻を食い止めた中川州男大佐は、従来の陸軍の戦術セオリーであった「水際殲滅」を放棄して、長期持久戦に持ち込む「縦深防御法」を採用しました。
これは、要は島にトンネルを張り巡らせ、要塞化する戦法です。
ただ、この要塞化はすでに戦争末期、物量が圧倒的に足らない中で行われたもので、いずれも最終的には打ち破られたものの、米軍にも多大な損害を与え、ペリリューの戦いは、ニミッツをして震撼せしめた戦いとなりました。
この戦法は、のちに硫黄島で栗林忠道中将、沖縄戦で八原博通大佐が取り入れました。
2人とも、士官時代は米国に留学し、米国式合理主義を身につけていたといいます。
戦後も、ひっそりと生き抜いた八原博通氏は、戦前、ある講演で「経済力が軍事力」であると主張をし、失笑を買ったといいます。
昭和の軍事史研究者の多くは、このような行動の背後にあった日本軍の非現実的な観念論を批判します。
しかし菊澤先生は、
必ずしもそれが非合理とは限らないといいます。
つまり観念も精神論も「実在」したというスタンスをとっています。
たとえば、取引の世界でオプション(権利)という商品がありますが、これ自体は「物」が存在しているわではありませんが、取引の対象として「実在」しています。
日本軍に置き換えると、物量が豊富ではない分、観念や精神力の実在を信じる比重が高かったのではないか。
それが組織文化となり、戦略、戦術に至るまで浸透していたのではないか。
菊澤先生は、このような見えない実在に基づく行動は、必ずしも非合理的ではないと言います。
企業に例えると、「ブランド」も目に見えない実在です。
ブランドは企業文化を形成する商品、サービス、そこではたらく人々の歴史的な営みが積み重なってできあがったものです。
このような無形資産の存在を忘れて、たとえばM&Aで会社を買った時、目に見える時価評価は高くても中身は空っぽということもありえるわけです。
逆に無形資産に固執すれば、新しい技術の導入に懐疑的になり人材育成の活性も衰え、市場で生き抜いていくための物理的な力が弱まります。
菊澤先生は、このように目に見えない実在をどのように捉えて判断していくか。実在する世界を3つにわけて総合判断することを提案しています。
3つの世界とは、
1)物理的世界
2)心理的世界
3)知性によって理解できる世界
です。
この3つの世界は小売業の世界にも応用できます。
たとえば、化粧品を例にとってみましょう。
1)はまさしく成分や自分の肌に合うか合わないかという世界の認識です。
2)は価格がわかりやすいでしょう。
このお値段にしてこんな効果があるのかという満足の世界。これは逆だと、ブランド失墜の引き金になります。
3)は、この化粧品をつけたときにどんな自分になるのか。知性によって想像する世界のことです。この化粧品によってどんなファッション、対人関係に変化が起こるのか。それを喚起させる世界のことです。
また、いまここでこの化粧品を買えば、別に買おうと思っていた商品が買えない。よってどちらが自分にとって得になるのか・・これを判断する世界です。
すぐれた販売員さんは、2)と3)の世界を直感的に理解しています。
仮に、1)の視点(商品知識)しか知らない販売員さんは、なぜこの化粧品が売れないのか。こんなにいいものなのに、おかしい・・とこの世界から抜けることはできません。
2)や3)が強すぎても、肝心の1)が抜けてしまっては本当の信頼を得ることはできません。
人間は、この3つの世界での損得を足し算引き算して行動しています。
よって、常に、互いに作用する3つの世界を行き来して総合的な判断をすることが、小売業の世界では求められます。
「目に見えない実在」をいかに捉えるか。
これが小売業の世界では今後とくに重要になってくると思います。