GWの三連休がはじまりました。
月刊誌をやっていると、GW進行というのがあり、かなりタイトなスケジュールになります。
それに今月は、サンキュードラッグ平野健二社長の単行本の発行を抱えており、最終のチェックと修正を行っています。
それでもせっかくの緑がまぶしい季節ですから、外の空気を吸いに行きたいですね。
*ちょっときょうは東京は曇っていますが。
さて、不定期のマイベストシリーズです。
吉田繁治先生の『ザ・プリンシプル』よりサム・ウォルトンの成功原則からマイベストです。
サム・ウォルトンは世界最大の小売業ウォルマートの創業者です。同書は、サム・ウォルトンの行動と言葉をもとに吉田先生が独自の解釈を加えたもの。
いまは結果として最大の小売業になったウォルマートですが、もとは、ベンフランクリンというディスカウントストアのフランチャイジーでした。つまり本部から商品を仕入れて売っていた当時としてはごくふつうの店舗でした。
ウォルマートが田舎で100店舗程度の規模だったころ、米国流通の覇者は、シアーズであり、Kマートでした。ところがそれらを規模で5倍を凌ぐ力を得たのはなぜか?
吉田先生は言います。それは「原則による経営」であると。さらに「原則に独自の工夫を加えた」とも。
言い換えれば、ウォルマートは世界最強のベンチャーだったといっていいでしょう。
これまでのように順番はありません。アトランダムの5つです。
ちなみに成功原則は100もあります。今回選ぶ5つは、たぶんいまの自分に必要な5つです。
1)情報をオープンにすることによる不利益よりも共有することによる利益のほうがはるかに大きいことがわかった
有名なサム・ウォルトンとP&Gのルー・プリチェットとの話し合いのすえ実行された情報開示と共有。これは1990年代の米国流通の革新でした。これまでは、在庫、品目別売上、生産計画、販売計画などを提示しあうことはお互いの手の内を見せることであり、取引不利となる固定観念がありました。
それを、企業間取引の枠をこえ、顧客の立場からお互いの活動目的を見る視点を獲得したのです。
この「目的合理性」による流通改革、サプライチェーン改革は、今後ようやく現実的なビジネスとなって日本の流通を変えていくでしょう。すでに水面下では様々な動きがはじまっています。
これは個人にも当てはまるなあと実感しています。
はやりのソーシャルネットワークビジネス論ですが、
ブログを書くのも、フェースブックで情報発信するのも、ひとりで抱えているよりも、そちらのほうがはるかに高い「つながり」になり、リアルビジネスが動き始めるということが少しずつわかってきました。
2)あらゆる人に自分から声をかけることはビジネスで成功するための普遍の方法である
サム・ウォルトンは大学時代、自治会長になることを目的に学内で出会うあらゆる人に声をかけました。ビジネスとは顧客に声をかけ続けることです。後年、彼は、従業員とその家族、取引先、店舗をまわるたびに声をかけ続けました。これはリーダーの資質だと思います。
情報オープン化、ソーシャルネットワーク化というのも、「声をかける機会」の増加ということだと思います。ただし、1)もそうですが、どんな情報を発信するのか、だれに発信するのか、これを決めておかなければ、情報は「インフォメーション」のままであり、人々が関心を抱いて、それに有益な示唆、検討を加え、ソリューションにつながる「インテリジェンス」になりません。
3)資金もなにもない会社に人を集める方法は、「プロフィットシェア」だった。今はない未来のプロフィットシェアだった
サム・ウォルトンが、最初に雇ったマネジャーは、彼が偶然訪問して感心したウィラード・ウォーカーという人物。かれから現場の課題と解決の方法をヒヤリングし、「引き抜きます」。彼はウィラードに提示したのは、「店の利益からあるパーセンテージを受け取る」という条件でした。
これはドラッカーも言うMBO(マネジメントバイオブジェクト)にむかう具体的な方法ですが、この前提になるのはやはり高い志だと思います。
未来のプロフィットシェアを語るその人に自分の志を重ねられるか。
のちに2代目のCEOとなるデビット・グラスとサム・ウォルトンの出会いは伝説です。
その日、サムはトラック一台分のスイカを積み上げ、子供たちをロバにのせていました。
ところがこの日は摂氏46度という大変な暑さ。スイカは爆発し、ロバはあたりに糞をまきちらして、
店舗は悪臭漂うさんざんな状況でした。
この店舗を訪れたグラスは、「別の仕事を探したらどうか?」と言ったといいます。
それでもかれはサムに未来を見たのでしょう。
こののち24年後に、後継問題で分裂危機に陥ったウォルマートを救ったのがグラスです。
控えめで人に仕事を委ね、相手に工夫をさせる力がありました。
野心を押し隠し、チームで仕事をすることができた。
「カリスマ」という言葉の市場価値がずいぶん下がったなあと感じるこのごろですが、
ほんとうの「カリスマ」はやはりある意味常軌を逸しているところがあります。
サム・ウォルトンはカーニバル的な雰囲気を率先してつくりました。
照れる男性社員たちを引っ張り、閉店後、婦人服のファッションショーもやる。
賭けに負ければ、ウォール街のど真ん中でフラダンスをする。
ショー化した株主総会ではチアリーダーの合図に、大の大人たちが、お尻で「☆」を描きます。
日本でもこれが取り入れられましたが、現場は辟易して根付きませんでした。
3代目CEOのリー・スコットも最初は閉口しましたが、2年後には最前列にいた。
上にたつ人間は、一見、ばかばかしく思えるようなことを平気で行える力がありますね。
グラスが糞にまみれた店舗で子供たちに囲まれ、笑いに包まれたサムを見たときに、なにを想像したのでしょうか?
わたしもここにいろんな思いをはせます。もっとも好きなサム・ウォルトン伝説のひとつです。
4)機会は必要から生まれる。環境の中でつくる。向こうからやってくるのではない
どんな事業も潤沢な資金と恵まれた環境からのみ生まれるわけではありません。
乏しい資本と恵まれない環境から事業をおこすためには「必要性」しかない。
これは、あらゆる意味で勇気を与えてくれます。
言い換えれば、「制約条件下」で成功するためには「必要性=社会的な存在価値」がなければだめだということです。
ウォルマートはほかの当時の大企業のように、人口の多い都市で出店せず、商圏に恵まれない田舎で店舗を展開しました。
でもそこにひとつだけ、真理がありました。
それは、人口の少ない田舎町でしたから、
「一度来た顧客の来店頻度を高めるためには何をすればいいか」ということを徹底的に突き詰めたのです。
そして最小のマーケットに最新の方法と細心の注意をもってあたる。
ウォルマートの代名詞的なフレーズ「小さく考えよ」の原点がここにあります。
5)顧客が期待する以上のものを提供し続けなければ、真の顧客満足を獲得することはできない
サム・ウォルトンは、顧客満足の実現に関しては、シンプルですが厳しいルールを課していました。
「自店の昨日を超えてるか」
「きょうの他店を超えているか」
昨日満たされているものは明日の満足ではなく、昨日を超えていなければ、顧客の期待以上のものにはならないと考えました。
だからだれよりも、店舗でスタッフとお客に声をかけ、自家用飛行機で、米国中の「ベストプラクティス」を見て回り、小さな黄色いノートに考えたことや真似すべき事例を書き続けました。
故渥美俊一先生は、生前のサム・ウォルトンに3度面会したことがあるそうで、もっとも感銘を受けたのは、自分の時間のほとんどを「他店のすぐれた事例をさがしに出かける」ということだったそうです。しかも事例には批判は一切加えない。小さな工夫の素晴らしさを子供のように感嘆をこめて語ってくれたそうです。
凡人は、すぐあら捜しに興じます。また自分の方が優れていると勘違いします。もっとひどいのは見ていないのに批判してしまう。
渥美先生もまたそれを亡くなる直前まで実践した方でした。
わたしの取材したつたない情報であっても丁寧に細かな質問をしました。
答えに窮することもしばしば。だから取材方法は鍛えられました。
先生の厳しい意見の背後には膨大な蓄積がありました。
わたしは、最年少である雑誌の編集長を務めなければならなかったとき渥美先生から教えをひとついただいたことがあります。
「だれもあなたのレベルの洗練したものの見方や視点などに期待していない。唯一期待するのは、かれらが知らない自分はこれを知っているという情報の数だ」。
もう4年以上経つと思いますが、この教えを守れていないなあ・・と。
渥美先生はたぶん見抜いていたんだと思います。ともすれば机上の空理空論を振りかざして、いびつなプライドで体面だけをきれいに飾り、恰好をつけようとするだろう自分を常に戒めよと。これは吉田先生からの教えも同じです。
その意味でも、このマイベストは深く心に刻みつけなければならないと思います。