以前仕事でお世話になった名クリエイターにして舞踊評論家の深澤徳さんから、


「震災前までは『無縁社会』なんて言葉がはやっていた。震災後は、『創縁』あるいは『造縁』の格差がますます広がるかもしれない」。


そういうコメントをいただきました。


『創縁』『造縁』という言葉は、『縁』をつくりだす力のことです。


この格差がますます広がる・・。わたしも確かにそう思います。


かつて「デジタルデバイド」という言葉がはやりました。


よく言われるように、デジタル機器を使えるか、使いこなせるかということも、『創縁』力格差を生むひとつになるかもしれません。


避難所で懸命な看護をしていたボランティアナースの方が、SNS上で「衛生状態が悪いので、掃除機が必要」と書き込んだところ、それを読んだアメリカのコンサル会社の人がダイソン社にかけあって、避難所に掃除機が届いた・・。


これはまさしくICTによる『創縁』力です。


避難所の支援体制、被災地の生活再建においては、この個々の『創縁』力が力を発揮しています。


工場を流された社長は、従業員を再結集して、知り合いの北海道にて再操業したいということで、従業員と家族に説明会をしました。約3分の2が北海道にいくそうです。


この社長さんはビジネスの勉強会で知り合った仲間に相談し、工場の土地確保と得意先確保、融資をとりつけました。


これはわずか2週間の決断です。


どうしても介護などの事情から地元に残らざるを得ない従業員には、その工場の製品の特約代理店を結んで直販してもらうそうです。


一方で個々の『縁』の力を嫌う人もいます。


不公平になるからです。


これは避難所の物資差配から、義援金差配、生活再建のプロセスに至るまで、さまざまなところで「不公平」が生じています。


基本的に官僚は、不公平、不公正な競争が生じないようなルールづくり(規制)と制度設計が仕事ですから、


ICTにかかわりなく「個別案件」は嫌います。


どちらにも理があります。


ですが、震災後は、この規制による不公平な競争をなくすルール作りも見直される必要がでてきていると強く思います。


先日の医療クラウドのセミナーで、ボランティアナースの会代表の菅原さんは、訪問看護ステーションの「一人」開業を訴え続けています。


訪問看護ステーションは現状「2.5人」が開業基準になっており、全国6000か所のうち昨年は300拠点が閉鎖、うち半分は人員確保ができなかったからです。


これでは、継続的な地位医療支援などできません。


被災地は現在特例が認められていますが、法律がある以上、この特例も時限的です。


看護師の一人開業を支援するためには、医療情報にアクセスできたり、訪問看護に必要な事務作業が軽減されるシステムを備えた「医療クラウド」が不可欠です。


病歴、薬歴などの医療情報のデータベースは実は個々の健康保険組合などでできあがっています。ですが、それはただ「ある」だけです。利用者にとってこのデータベースをより有意義に使ってもらうためにはどうするかという発想はまったくありません。


ここできまってレトリックとして使われているのが「個人情報保護」という言葉です。


権限を侵されたくない人々はきまってこの言葉をつかいます。


言葉の防壁とはよく言ったもので、井沢元彦さんの「言霊論」を持ち出すまでもなく、利用者のためにデータベースを使わせろというと、「個人情報法が悪用されるおそれがある」という言葉のウォールを用います。だから、けっこうこのレトリックで、「だからしょうがないか・・」と思う人は多いのでは。


個人情報が悪用されないために、こういう方法、ルールづくりがある。でもこういうリスクもあります。それに同意していただければ、個人の責任の範囲において利用できるのではないか・・とはなかなか言いません。


ちょっと話がずれましたが、


このセミナーでシンコムシステムズジャパンの石村さんの言葉が印象的でした。


「ICT化の成功原則は小さく作って、現場の声をきいて改善し、広げる」。


これはコミュニティづくりの原則でもあるような気がします。


最初から大きな視点でみんなが納得する公平なルールづくりはできません。


社会インフラという視点では、セーフティネットは不可欠です。これは大きな視点が必要であり、まさしく「官」の仕事です。


ですが、それ以外の多くの「民」の部分では、個々の『創縁』力が重要なのではないかと思います。


深澤さんのいうとおり、過程においては「格差」も生じるでしょう。


あまり政治のことは言いたくないですが、


政府の震災復興にかかわる会議のための会議、組織のための組織づくりを見ていると、あらためてその思いを強くします。