新卒採用や雇用問題で出てくる「ミスマッチング」という言葉。
政府の雇用対策も「ミスマッチングを防ぐために」なんて紹介されます。
たぶん「思っていたこと、やりたかったことと違う・・」ということなんでしょうが、私はちょっと違和感があります。
小売りの現場で仕事していると、「ほんとは志望はちがったんですが・・いまの仕事はとても面白いですよ」という人に出会います。すごく輝いているなって思います。
ドラッグストア勤務で「薬剤師」という資格を持っていなくてコンプレックスを感じていた若い女性社員さんがいます。でも来店するお客様の役に立ちたくて介護ヘルパーの資格を自腹で取りました。会社は小さく、そういう努力をサポートする体制ができていなかったのですが、彼女の上司が社長にかけあって、認めてもらいました。そういう小さな積み重ねが店舗と企業を引っ張り、その企業は対前年比2ケタのアップを続けています。
対照的に、氷河期世代で一流と言われる大学を出て、「小売りしかなかったから仕方なく・・」という人もよく出会いました。彼らは悲観的で転々と仕事を変える人が多かった。いっときのプライドの高さから身に付けた机上の知識は継続することによって磨かれる専門的な実務能力にはかないません。
大事なことは、「制約条件下でもやりがいや生きがいを見つけられる・・、立ち位置を把握できる・・」そういう能力を磨くことなんじゃないかなあと思います。もうちょっと言えば、小さなことをおもしろがれる、感動できる・・。
最初からマッチした仕事や職場なんて皆無じゃないでしょうか。
サッカー日本代表の本田選手だって、「トップ下」が自分の得意ポジションだけど、チームのためにそうじゃない役割を黙々とこなしていますよね。もちろん不満もあるだろうけど、インタビューで、ただ「トップ下」をやりたいということだけアピールしてもだめ、与えられた役割で最大限のパフォーマンスをする努力が足りないって答えていました。トップクラスの選手だってそうなんです。これを聞いて本田選手のファンになりましたよ。
サッカーやラグビーもそうだと思いますが、動けば「場」が変わりますよね。ひとつの職場も3年いれば見える風景が変わってくると思います。
「自分に合う職業」を探し続ける努力も必要かと思いますが、「与えられた条件下で成果を出す、やりがいを見出す」というのは、むかしの没個性論、歯車論と同義になるのでしょうか。
かつてスイスでチェーンストアを教える際には、時計にたとえると聞いたことがあります。時計は様々な形、個性を持つ歯車や心棒で構成されている。何百という部品がすべて異なる役割を果たしている。それがある一定の法則(約束事)で動いているから、人類は目に見えない時を知ることができる。これが分業の社会的存在意義であると。
スイスらしい見事な説明ですよね。わたしも個人の思惑が先走り、チームプレーができなかったときに思い返します。