気付くということ(番外編) | 人間力コミュニケーション基礎評論・講師 菅原藤理です。
今日は母が育った故郷福井県について一言。
(父方は宮城県石巻なんです)

人口が80万人を下回ることが目前にきているとのこと。
さてそろそろ福井県も気付いていいはずなんだが...

最近全国各地訪れることも多く
その文化や人に触れる機会も多いのだが、感じることは
今の現状や自然、モノ、食文化に変な奢ることなく謙虚であり
努力をしているということ。

幸福度日本一とか
長寿日本一やら
学力日本一。
その他
カニが美味しいだろー
刺身がうまいだろー
挙句の果てには自ら
人情があっていいだろーと
言ってしまう県民性。

みんな当たり前なことを
平気で「誇り自慢」している。
逆を言えば、それを取ってしまったら「何もない」ことになる。
県外のいろんな人に聞いてみると「あの自慢げなところが鼻につく」「福井県ってそんなに偉いん?」と冗談ながら言われたことを思い出す。

福井県のイメージに残念ながら
「可愛らしさ」ないというのだ。
同じ人口が規模である佐賀県にいくと、「何もない所にようこそ!」と控えめ。だけど精一杯のもてなしが待っている。
印象も良く一生懸命接してくれる努力の姿が浮き彫りとなるのだ。

県内の企業やものづくり
サービスすべての基準が福井県にある限り発展が厳しいという
思いとなった瞬間だ。
80万人に嫌われない仕事をすべきか。
はたまたその内10万人に嫌われても全国の1億3千万に愛される仕事をするか。
努力と考え方で福井県も変われると思っている。

いやそんな県民性であってほしいと願いたいし僕もその一人と思っている。

この感覚のままだと
新幹線が来れば経済効果が大きいだの、街づくりだの他人責任転嫁型終わってしまいそう。
福井には再度
人づくりが早急に必要かと。

もっと福井県を全国に知ってもらうより県外の情報を福井に流して、福井県の立場を県民によって気付かせることも大切。

そんな気がした。

きょうも色々いって
ごめんなさい。



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