こんにちは、ツカマコトです。
北海道の宗谷岬から九州の屋久島まで、日本縦断を徒歩で挑戦中の34歳です。旅を文章でも残しておきたくて、日々、noteと向き合っています。

【塚真のインスタグラム】

https://www.instagram.com/j.mcovoy/


【トーストになりたくなくば】

 

普通の人なら体験するであろう日焼けによるヒリヒリを、生まれてこのかた味わったことがない。高校生の頃なんかは、炎天下のキャンプ場で半裸のまま作業をこなしていたほどだ。亜熱帯化が進行する日本において、耐性としては有難いかもしれない。

 

その一方で、ちょっと気になる点もある。日によって焼かれた素肌が、すぐに黒くなってしまうこと。そのスピードときたら、まるでトースターの中のパンみたに。さすがにそれほどではないにしても、30分も外にいれば当たり前のように色は変わる。

 

夏場のサンダルや短パン、トレッキングスタイルの時は短パンにソックスを履くからその痕跡までくっきり残る。あとは腕時計だったり。そうやって僕の身体は、一夏で横断歩道になる。左右を確認してから渡ってね、なんて言ってる場合じゃない。

 

健康の側面から考えても、過度の日焼けは体に良くないと言う。太陽光による皮膚の老化を意味する”光老化”という言葉まであるくらいだ。他にも感染症や癌に対する抵抗力の低下、なんてことも言われている。8月からは徒歩の旅を再スタートさせるというのに、このままでは両面まる焦げパンになってしまう。そろそろ対策でも考えないといけないお年頃か。日焼けどめクリームを塗るのは面倒だけど、せめて長袖シャツでも着用して歩かないと。

 

歩き旅を終えたころ、いったいどんな自分になっているんだろう。変わりすぎて、パン屋の店頭に並んでいないことを願うばかりだ。


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【時間に色をつける生き方】

75歳の誕生日を明後日に控えた同部屋のおじさん曰く、歳を重ねるごとに時間の流れが早く感じるのだそう。

 

僕の倍近く生きた人が感じる流れの速さが、一体どんなものか気になって質問を投げかけた。いくら知識を増やしたところで、歳の層を重ねることはできない。だから実際にその年齢に達した人でしか、確かな回答は得られないと考えてのことだった。

歳を取るにつれて自分の人生における「1年」の比率が小さくなるため、

体感として1年が短く、時間が早く過ぎると感じること。

 

これを『ジャネーの法則』と言うらしい。説明を受けて「あぁ、そういうことなのか」と、つい納得させられそうになった。ところが、これにはいくつか合点がいかない部分もある。

 

例えば、この旅をスタートさせてからというもの、日常の単調さが無くなった。灰色の空気を蔓延させた通勤電車に乗り込む訳でもなし、決まった業務を淡々とこなす環境からは解放された日々。会社勤めをしていた頃のように、決まった人と顔を合わせることさえしない。

 

新しい人や出来事を迎える日々に比例して、脳の活動量だって増えているはず。今の僕の日常には壁がない、大空を舞う鳥のように、飛ぶ高さも行き先も自由に決められるのだ。

 

なのに。一般的な暮らしを手放した今もなお、それでもやっぱり時間の流れは早く感じる。

 

でもよくよく考えてみると、感じているだけであって、実際に早くなった訳ではない。0歳の子供にも、100歳の老人にも同じだけの時間が刻まれている。

 

だったら、時間の濃度を深めればいい。というのが今回の教訓、というか気づき。改めて向き合うことで、本当に大切なことはなんなのかが知れる。それはつまるところ”亀の甲より年の功”という、先人の気づきから生み出された言葉そのものだ。

 

時間の流れに抗うことはできないかもしれない。けれど、その流れに何を刻むかは、きっと自分で選べるのだと思う。

【記憶に挟んだ栞】

今日まで思い返すことのなかった記憶の頁には、何年も前に挟んだ栞が残されたまま。ずっと前の過去を、そのまま映像として見返しているかのように鮮明に浮かび上がった。

 

当時、僕が着用していたのはレザージャケット。その日の為に切った髪は、好きなバンドのギタリストの髪型に似せてもらっていた。紺のデニムに合わせ履いた黒いスニーカーは、その年の誕生日に友人がくれたものだった。

 

あの頃、ずっと傍にいてくれた人の顔や名前は、当たり前のように覚えている。口癖も、仕草やホクロの位置まで。誰かに話せば気持ち悪がられるほど、何もかも記憶している。洋楽を好んで聴いていて、とりわけTaylor Swiftが好きだったことまでも。

 

1つ思いだせば、それが引き金となって芋づる式に当時の記憶が溢れでてくる。たかが三十数年を生きた、そのうちの4年間も一緒に居たのだ。忘れようにも、忘れられないことがずいぶんと多い。

 

そうは言っておきながら、いま会っても、恐らくは何も思わないだろう。知っている人として、淡々と話せる自信だってある。だから別に、その人と付き合っていた期間も、別れ話も美談にするつもりはない。けれど確かに、その人が僕にもたらした人生の選択は、その後の僕の生き方を大きく変えたと言っていい。それほど、僕の人生を語る上で欠かせない人物なのだ。

 

仕事終わり、それは夕食を食べている最中のこと。懐かしむような語り口調で同僚が発した言葉が、僕の人生の一コマを思いださせた。そしてその後に続く言葉には、無意識で相槌を打っていた。

 

そのときの僕は、いまだ色褪せない記憶を思い返していたのだから。これも、今となってはただの昔話さ。

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【今はまだ雛】

難しい言葉は必要ないけれど、言葉の並べ方に工夫を凝らしながら文字を綴ってきた一週間。そこに比喩も付け加えることで、これまでとは見違えるような文章を仕上げられるようになってきた。それに、そこそこ真面目に取り組むことで、得手不得手がちゃんと浮き彫りになってきたのも発見だった。

 

例えば、これまで見向きもしてこなかった比喩表現。これには日々の視点や妄想力が脳内で活発になり、待ってましたと言わんばかりに言葉を紡ぎ出してくれた。まるで船の帆が風を捉え、波間を滑るように文字が浮かんでくるような、そんな感覚だ。それくらい確かな手応えを感じた。

 

一方で、締めの一文を考える事に関しては、どうも苦手のようだ。締めの一文の役割は、製品を梱包する作業にも似ている。タイトルを製品名とするなら、文章のテーマや構成は製品そのもの。締めの一文は、その全てを包むパッケージデザインと言える。

読み応え、つまり読後感を味わってもらうための一文作りに、今は奮闘しているところ。たぶん、考える力はあるんだろうけど、力の働かせ方にいまいちピンときていないんだと思う。脳内回路の接触が安定していないのか、導き出すのに時間がかかってしまうのが現状だ。

 

あとは文章全体の出来栄えを判断できる感覚を、もっともっと洗練させたい。ザラつきやバリのように、物体から違和感を捉えるような感覚を。

 

ただ、これができたとて、物書きとしては殻を破ったばかりの雛。鶏になるためには、もっともっと言葉数を蓄え、それを使いこなす技術が必要になってくる。

 

そうなるためには、毎日文章を書き続けなければならない。そうした地道な手作業こそが、きっと最高の製品作りに繋がると信じて。

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【星野さんは今日も】

雪がずいぶんと溶け始めた頃になって「ソリ滑りをしたいから着いてきて」という星野さん。ここへ来た初日は、今より1mは高く雪が積もっていたし、雪面は滑らかだった。確実に今よりも滑りやすい環境だったのに、なんで今さら?とも思ったけど、仕方なく仕事の中休みを利用して、ソリ滑りを楽しんできた。

 

少しぎこちのない、まるで車が蛇行しながら進むような、安定感のない星野さんの喋り方。そう、星野さんは中国人女性。さすがに年齢を聞いてはいないけれど、日本に来てからは随分と長いみたい。

 

自分がおしゃべりである事を自覚していないところや、簡単に愚痴をこぼすところ。気に入らない事があれば、すぐに表情に出るのは見ていて面白い。そういうところも含めて、星野さんはエネルギーに満ち溢れている。話していると元気をもらえるから、僕にとっての充電スタンドのような役割もになってくれている。

 

そんな星野さんが来た当初、日本人だと思い込んで接していたっけ。喋り口調も、そのときは癖のある訛りだと思って特別気にも留めなかった。それよりも、すぐに楽をしたがる勤務態度に、最初の頃は苛立ちを募らせていたこともあった。何か伝えたら、すぐに不貞腐れる一面もあってなおさら。いい歳して、なんだこいつは。と、思ったことも正直に書き留めておく。

 

日本人でないことを知ったのは、そのしばらく後のことだった。

 

それを知った途端、それまでの苛立ちに対して、ならしょうがねぇか。と思うようになって、日本人であれば許し難い態度にさえ、なんとも思わなくなった。むしろ、それが可愛らしくさえ思うよになった。なんだかんだで、今は僕のことを下の名前で呼んでくれるような、そんな間柄へと変わっていった。

 

人と接するときは特に、ついつい先入観でその人のことを見てしまう。いけないなぁ、と思いながらそうなってしまう。こうして良くない自分と向き合う事がで来たのも、星野さんとの出会いがあってこそ。

 

そう言った意味で、今日したソリ滑りの時間は、そのお礼かな。

【おい、時間泥棒】

気まぐれに伸び縮みしては、僕らの時間に対する感覚を、弄んでいるようにしか思えない事がある。とくに、やる事がなく暇なときほど、その身を可能な限り引き延ばしては退屈を仕掛けてくる。逆にこちらが楽しんでいると、キュッとその身をすぼませ、一瞬だったかのように時間を縮めてきたりする。ほんと、油断も隙もあったもんじゃない。

 

時間が過ぎるのが早い、とか。逆に、そのひとときを永遠かのように感じることとか。いずれも、自分たちが勝手にそう思い込んでいるだけなのかもしれない。

 

けどアレは、執拗に伸び縮みを繰り返している、ただの悪戯《いたずら》っ子の仕業だろう。

だっておかしい。好きな人と話しているときは、瞬きしている間に一時間は過ぎている。なのに仕事の日は、時計の進みの遅さに苛立ちが込み上げる。しまいには、連休なんてあったかな?と、錯覚に陥る時もある。これだけの証拠が出揃ってきた。ほんの少しだけ、そんな時間の策略に目を向けてほしい。

 

これまで散々、自分の感覚で時間の長さを感じていた。けれど、日常の中の些細な部分に疑問を抱いてみると。その感覚が間違っていることに気がついた。

 

そんな時間に対して、どうにか仕返しする方法がないかを考えてみた。

 

一つだけあった。時間が付け入る隙を与えない方法だ。あいつらは、僕らの起伏の差を狙ってくる。そこでだ、いついかなる時も楽しむという感情を抱いてみるのはどうだろう。

 

きっと時間は、そんな奴に対して悪戯を仕掛けようとは思わなくなる。ずっと楽しんでいる奴に、何をしても変化がないのだから。時間に、悪戯の対象としての自分を飽きさせるということだ。

 

この作戦をもってすれば、楽しい時が一瞬で過ぎ去ることは、もうない。時間を制したという訳だ。はじめは難しいかもしれないけど、少しずつトレーニングを始めてみよう。

 

電車で、向かいの席に座る人の名前を勝手に予想してみたり。人気のない通りで立ち止まり、異世界にでも迷いこんだ風に思い込んでみる、とか。大丈夫、君ならやれる。

【宇宙との距離感】

当たり前のように星座を空に浮かべているけれど、本来はただひとつの星。ここから見れば、見渡すどれもが砂つぶほどの大きさで、ただ小さく光輝いているだけ。その単なる光は、遠い未来から過去へと放たれたもので、僕らの現在に届いている。

 

お洒落なエッセイ風の書き出しを装っておきながら、伝えたいのは星空上映会に参加したという報告。冒頭だけに、今の全力を注いでみたけれど、さすがに同じテンションで文章を綴るのには無理があった。

 

なにせ実際に星空を見た訳でもなく、飽くまでスクリーンに投影された星。そこに生きた光も、奥行きもなく。僕の心を照らすことはない。

 

ただ一つだけ、思わず僕自身も席を立ってしまった箇所があった。実物の石を使った宇宙にまつわる問題だ。机の上に並べられた、掌の中に収まるほどの5つの石。その中に、なんと隕石が紛れているというのだ。

 

隕石を見たことも、触れたこともない僕にとってみれば、問題の正解なんてもはやどうでもよかった。隕石に触れた、その事実だけで心が躍ってしまう。気持ちだけが、宙を舞ってしまいそうだ。

 

それでも一応は問題に取り組もうと、並べられた全てを掌に乗せてみた。その中で明らかに重みの違う石があって、それこそが隕石だった。

 

真っ黒で、光沢が少し。これが元々は宇宙を彷徨っていて、それが僕の手の中に収まっている。まるで宇宙のカケラを握り締めているようで、たったそれだけでSF映画の中にでも引きづりこまれたような気分になった。

 

それはただの幻想だとしても、確かに今日、握り締めた隕石を通じて、無限に広がる宇宙の入り口に立った。際限なく広がるその先に、可能性に目を向けながら。こうして少し高揚した気持ちで、今はベッドの中。今夜だけでも、無重力の夢の中を彷徨いたい。

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4月21日の日記『ひとり作戦』

昨日は僕が、今日は”大きいちいかわ(作業パートナー)が休みの日。
 
昨日は上司が手伝ってくれたらしいけど、予想していた通り、今日は野放し。朝から昼過ぎまでずっとひとり作業、単純に考えると作業量が倍になる。
 
こんなもの普通に作業していたら、当然間に合わないし、上司もそれを知っている。にも関わらず、なんの言葉もなく放置なのだから、だったらこちらも相応の戦略で臨むところだ。
 
丁寧に手を抜く。サボる訳じゃない、飽くまで丁寧に手を抜いていく。
 
普段の上司の振る舞いから、まず手を貸してくれないだろう、というのは分かっていたし。シフトを貰った時点で今日の日のために、いかにして丁寧に手を抜き、時間内に終わらせるかを考えて作業してきた。
 
なんて。計算高い感じを演出してみたけど、あいにくそんな脳みそは持ち合わせていない。なのでそう、やっぱりサボるしかない。
 
表から見えないところを掃除しいない。1日くらいは平気だろう、それとシャンプー類の補充をしない。
 
洗面台や鏡は水垢まで排除する。けれど風呂の床磨きは洗剤を使わない。
 
廊下、階段の掃除機かけはスピード重視。掃除機に吸い込まれず、残ったままの埃があったなら、それは動きに付いてこれず吸い込めない掃除機側が悪い。
 
終わってみれば14時20分、終業10分前。そういえば今日、話てみたいと思っていた人と、昼ごはんのタイミングが合って話をすることができた。歯磨きしながら言葉を交わしていた程度で、名前以外はほとんど何も知らなかった。
 
その人と15分くらい話ができて、出身地やこれまでの仕事とか。お互いに少し情報を開示することができた、嬉しいね。少し期待をさせてしまったかもしれないけれど、男の人ね。見出し画像
 

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4月21日の日記『フラッペスノーランド』

くっきりと良く晴れた空。風も穏やかで、天候の崩れも心配なさそうな朝。
 
午前中は事前に予約を済ませておいたバスで、室堂というところへ向かう。
 
バスを待つ列も、乗車してからの車内でも。聞こえてくるほとんどが中国語のようで、日本人も居るけれど、中国人に比べると少ない。
 
なのに車内を流れるガイダンスは日本語のみで、そうかと思えば日本人と思わしき人たちは、車窓から見える景色を写真に収めることに夢中になっている、それは僕も同じ。
 
弥陀ヶ原からはたったの15分ほどで室堂に着く、このあたりの標高はなんと2450m。
 
通常のバスが走れる道路はここで終わるけれど、電気バスとケーブルカーを乗り継ぐと黒部ダムへ通じていて、さらに先へ行けば長野へと抜けれられるようになっている。
 
ただ、今回は室堂止まり。駅舎から外へ出ると、そこは雪原になっていて、山にまで降り積もった雪に反射した太陽が、全方向から照り付けてくる。
 
ここでのお目当ては、雪の大谷。道路が高さ16mもある雪壁に囲まれていて、今年は今月の15日に開通したばかり。その脇は人が通れるように100mほどの距離が整備されてあって、列に沿ってそこを歩いてく。
 
ここもやっぱり人の往来が激しくて、写真を撮るのも一苦労。この人、いま手が空いてそうだな、と思う人を人混みから見つけて。カメラを指差すだけで、写真を撮って欲しいことを察知してくれ、撮ってくれる。
 
無愛想なぽっちゃり男性ではあったけど、いい感じに写してくれていた。最初の休日としては十分に満足できた。



 

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4月20日の日記『キミは艶やかだね』

向き合い方が変わった、途端に愛おしく見えてくることがある。今からするのはトイレの話。
 
歩き旅をしていると、いや、そうでなくとも。突如便意を催すことなんてザラにある、なんとも情けのない、旅に不向きなお腹事情を抱えていながら生きている。それでも歩き続けている。
 
今のところ、約1800kmもの道のりを歩いてきたけれど、その間、いまだに限界を突破したことがない。限界は限界、お尻のこと。それは僕にとってみれば、奇跡に値することで、例えば乳製品を摂取したそれだけで、ものの15分でトイレへと駆け込む。
 
これが僕にとっての日常。そんなだから、当然「もう無理、終わる、、」と思ったタイミングは何回かあって、それでもこうして生き延びることができているのは、信じられないくらいこの旅でのトイレ運に恵まれているからだった。
 
特に北海道は大変で、町と町の間隔が何十キロと続く場合がる。そしてその間、コンビニどころか、自動販売機すらないエリアも存在する。
 
そんな時にも容赦なくやってくる便意。ただ不思議と、冷や汗が出るくらいギリギリの状態に差し掛かった時に限って公衆便所が現れたり。ずっと森に囲まれた道が突如として拓け、ポツンとカフェが営業していたり。そんなことが何度かあった。
 
そうやって、何度も何度もトイレに助けられてきた。
 
いや、今回は結局何が言いたいかって。トイレ掃除をするとき、便器に名前なんか付けちゃったりして。この旅で随分と助けてもらった分、トイレに感謝するようになったって話で。この先もよろしく、という思いで住み込み先でトイレ掃除に励んでいる。
 
少しでも便器が艶やかさを保っていられるように。
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