続続100名城No.17伊勢亀山城 | 侍ホリタンの続続100名城訪問記

侍ホリタンの続続100名城訪問記

惜しくも日本の100名城や続100名城に入らなかった隠れた名城が日本にはまだまだあります。
侍ホリタンが独断と偏見で選んだ続続100名城を紹介していきます。

訪問日:2022/10/10

【場所】三重県亀山市

【築城年】1265年

【築城者・改修者】関実忠、岡本良勝、本多俊次

【城郭様式】平山城

【主な城主】関氏、蒲生氏郷、岡本氏、本多氏、石川氏

【見所】①多聞櫓②石垣③堀④土塁⑤ 二之丸帯曲輪の土塀(復元)

【廃城年】1873年(明治6年の廃城令による)

【御城印の有無・販売場所】

衣料品店「じぼりや」他

【アクセス】

JR亀山駅から徒歩15分、

東名阪自動車道亀山ICより15分

【駐車場情報】

無料駐車場有り

【周辺観光施設】

津城、松坂城


伊勢亀山城は鎌倉幕府3代執権北条泰時公の側近であった関実忠公によって伊勢国鈴鹿郡若山に築かれたのが始まりです。関氏の統治時代に現在の場所に移されています。関氏の統治は16代まで続きますが、織田信長公の伊勢侵攻により蒲生氏郷公、その後は豊臣秀吉公に従った岡本良勝公が城主となっています。岡本良勝公は天守の築城など亀山城の大改修を行いますが、江戸期の初頭に丹波亀山城天守の解体を命じられた堀尾忠晴公の勘違いによって天守は取り壊されてしまいました。取り壊された天守は再建されることはなく、本多俊次公によって本丸に天守代わりの三重櫓、天守台には現存する多聞櫓が建てられました。


「亀山城趾」の石標


天守台に建てられた多聞櫓、三重県内で唯一現存する城郭建造物です。



本丸へ登る階段


多聞櫓入口


多聞櫓内部、

土日祝に限り無料開放されています。

時間は午前10時から午後4時までです。


本丸に残る井戸


本丸の石垣


本丸の東側には城内最大規模を誇る二之丸があり楠木門によって繋がっていました。



二之丸御殿の礎石



ニノ丸御殿の庭にあった「築山」と呼ばれる小山跡、発掘調査で見つかった瓦が置かれています。本丸が徳川家の宿舎として利用されていたため二之丸に藩主の住居及び亀山藩の藩庁が置かれていました。


二之丸の北側には二之丸帯曲輪があり埋門によって繋がっていました。


埋門跡、

二之丸跡から二之丸帯曲輪方面の眺め


埋門跡、

二之丸帯曲輪から二之丸跡方面の眺め


二之丸帯曲輪と復元された土塀


外堀の周囲を囲む様に遊歩道が整備されており気持ち良く散策する事が出来ます。



外堀付近からの二之丸帯曲輪の土塀の眺め