こんにちは、なぎさです。
今回は、私も含めて誰も陥りやすい考え方のクセ…【認知の歪み】というのはなんだろう?という内容です。
私たち人間は、ほとんどの人がそうなりやすい考え方のクセというか傾向があります。
極々まれにまったくない人もいるでしょうけれど、まずみなさんに該当すると思います。
当然私にも該当します。
このクセは、心の芯が強いとか弱いとか、性別とか国籍、年齢、人種など関係なく、本当に誰でもそうなりやすいものです。
このクセは9つあります。
- 二極論
- 過度の一般化
- 欠点だけが見えるフィルター
- マイナス化思考
- 結論の飛躍
- 誇大視と過小評価
- 感情的な決めつけ
- ~すべき思考
- レッテル貼り
善か悪か、有りか無しか、1か0か、白か黒かという極端なものです。
ほんのちょっとでもダメだったら、これまでの全部がダメだと私たちは考えがちです。
これが二極論という考え方の歪みです。
世の中こんなに二極で結論出るものではありませんね。
例えば人によって使える治療法や薬剤が違うので手術で病巣切除を絶対にしなければ許されないというわけではありません。
人間が生きる上では物事はほとんどがグレーです。
真っ白に限りなく近いグレーもあれば真っ黒に限りなく近いグレーもあります。
極端な思考に捉われないように、考え方を柔軟にしていきたいですね。
小さなことを大きく解釈してしまうことです。
私とあの人が同じ意見だった、というものを「世の中の人はこう思ってます」と主語が大きくなるものですね。
この薬が「私には」合わなかった→「この薬ダメだよ!絶対効かないから!副作用酷いから!みんな使っちゃダメ!」
私は祈ったけど何も特に変化してない→「神様とかそんなんいないから!祈るとか愚かな行為やめとこ!」
こんな感じに小さなことを「全部そうなんだ」と一般化しすぎてしまう認知の歪みですね。
欠点だけが見えるので上手くできた事や良かった事は見えなくなるフィルターでもあります。
例えばプレゼンをしたとして、全体的にわかりやすく興味を引く構成になっていて高評価をいただけたとします。
そんな時ある一人の方から「でもこれってどうなんですか?」と指摘されました。
するとこの指摘が気になって気になって、全体的な高評価を得た事が見えなくなり「ダメだった…」「ミスった…」となってしまうのですね。
これもよくありますよね。
上記のプレゼンで高評価だったことを無かったことにして、指摘されたから低評価なんだと思い込む。
ここから「たまたまプレゼンが上手くいっただけで次は失敗するんだ…」とか「指摘されたから、やっぱりこのプレゼンは失敗だったんだ」と解釈してしまいます。
これも本当によくありますよね。
自分なりに頑張って勉強してテストの点数が80点だった。
80点を取った事実を無視して、20点ぶんの回答をミスしたところだけに注目してしまい「あぁもうダメだ」「100点取れないなんて自分はなんてダメなんだ」と陥る感じ…。
きちんとした証拠や根拠がないのに、勝手に自分の中で否定的な答えを出してしまうことです。
これには2つに分類できます。
- 相手の感情を決めつける
- 物事が悪化すると予想する
1つは「あの人に言ってもどうせ〇〇って言われるし…」と相手の感情を決めつけてしまうことと、もう1つは「どうせやっても失敗するんだから、だったら最初からやらないほうがいい」と物事は悪化するものだと決めつけてしまうことです。
これもよくありますねー!
「〇〇さんにこれお願いしようと思ってるけど、言っても~~って反応されるの分かり切ってるから頼むのやめよ…。」
が本当によくありますね。
職場内や家庭内で人間関係が上手くいっていないとコレになります。
そして言わないものですから余計反感買ってしまうのです…。
そう簡単に言えれば苦労しませんよね。
「〇〇の資格ほしいけど…合格率低いし、一発で受かる自信ないし…だったら最初から手を出さないほうがいいかも…」
と尻込みするのも結論の飛躍ですね。
この飛躍は私がこの数か月陥りやすい認知の歪みなので、これになった時は「いやいや、やって損はない!」と自分に言い聞かせています。
失敗を大きく見過ぎて、成功を小さく見すぎることです。
過度の一般化のグレードアップといったところでしょうか。
1つの失敗で「もう挽回する余地はない…もう全部終わった…ダメだ…」となるのが誇大視。
一生懸命自分が頑張った〇〇があるのに、それを「どうせ私なんて〇〇程度だし…」と自分を実際よりも小さく、低く評価することが過小評価です。
過小評価の逆が過大評価で「〇〇が出来る私ほど優秀な者はいない!私は凄い!崇められるべき存在!みんな私の言う事は聞かないと!」なので、誇大視とは違うんですね。
それはコレです、その根拠は私がそう思うから。というものです。
「私のようなダメ人間は早くいなくなったほうがいいんだ」の根拠は「私が私をダメなヤツだと思ってるんだから、私はダメ人間に決まってるでしょ?」となるのですね。
これもよくありますよね。
客観視する視点が無くなってしまって感情面だけで結論つけてしまいます。
「〇〇さんは絶対にこういうヤツだ。その分野はよく知らないけどあの人とかあの人がそう言ってるし、絶対そうだって!」もそうですね。
これは有名ですね。
この認知の歪みは、自分だけでなくて他人にも過度の責任を負わせようとしてしまいます。
「私は〇〇なんだから、これをすべきなんだ」
「子供は外で遊ぶべきだろ?なんでSwitchとかDSとかで遊んでるんだ!ダメだろ!」
「女はメイクして当たり前。ノーメイクで過ごすな。」
「結婚してんのに料理しないとか…嫁が台所に立つべきで、旦那は台所には足を入れるもんじゃない。」
というのもそうですね。
キリスト教界隈ですと
「信徒なら聖書読まないと!」
「礼拝は絶対に来ないとダメよ?」
「什一献金するのは当たり前。」
というもの。
「ホルモン療法じゃなくて絶対抗がん剤使わないとダメだって!」
「抗がん剤は絶対使っちゃダメよ!それより放置したほうがいいらしいから!」
「ダメダメ!それより〇〇食べたら治るって!標準治療とかやらずに〇〇すべきだって!」
「治したいなら〇〇の△△先生の所行って除霊してもらわないとダメだよ」
などなど、上げだしたらキリがないくらい出てきますね。
~すべき思考は本当に陥りやすいです。
あるひとつの事柄で相手の価値を決めつける考え方です。
これも私たちは陥りやすい認知の歪みですよ。
「あそこの中学で万引きした子が捕まったらしいよ。あの中学ダメだね~。」
「あの先生が出してくれた薬で副作用出ちゃった。あの先生、藪医者だよ。」
「あの人イラスト描くんだよね。オタクだよ。近寄ったら危ないから無視しよ~。」
「最近世の中がすごく便利になったよね。でも便利になりすぎ。今の世の中はダメだわ。昔が一番いい。」
「大事なプレゼンあるのに寝坊した…はぁ、自分は何やってもダメだ。」
「みんなが頑張れてる〇〇なのに私は出来なかった。どうせ私はダメ人間だし。」
というものですね。
それにしても、なぜ認知がこうも歪んでしまうのでしょうか?
それは自己肯定感が下がっているからです。
自己肯定感は自分に対する存在意義をヨシと認める感情です。
他者との接し方に【やっつけるメッセージ】というのがあります。
認知の歪みに出てきた内容がことごとく出ている言葉なのがわかりますか?
~すべき思考、欠点だけを見ている、3項目目は侮辱ですよね。
感情で決めつけているのが4つ目。
これらは否定的なメッセージで、これを受けると誰でも自分は非難された、低評価を下された、からかわれた、批判された、恥をかかされたと感じるのです。
この言葉を言われ続けると、こちらの認知が歪んできます。
そして、自分で自分をこんな言葉で否定し続けることになります。
自分で自分をイジメている状態ですね。
これは実に不公平です!
ですから、自分を褒めましょう!
私たちにはこう否定面ばかり思いやすい傾向があります。
だからこそ、それと違う良い面も認めてあげてほしいです。
5つ自分を否定したなら5つ自分を無理やりにでも褒めてください。
5つ褒めるのが難しかったら3つでもいいのです。
褒める内容な何でも構いません。
「朝頑張って起きれた!私偉い!頑張った!」
「買い物行った!」「料理作った!」
「仕事行けた!」「電車乗った!」
このレベルから褒めてください。
私の場合…今日の褒めることは…
今日も頑張って体操と筋トレできた!
モスバーガー美味しい~~!!
熱中症対策ちゃんとやった!
ですね
私たちは自分を褒め慣れていません。
ですから、少しずつ、小さなことから褒めていって認知が歪むのを少しずつ解消していきましょう!