神様から受ける「賜物」とは? | あなたの心と魂を励ます[ちゃぷれんろごす]

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メンタルケア心理士®・上級心理カウンセラーな県内初のチャプレンによる心と魂を励ますブログ

こんにちは、なぎさです。

 

 

夕べ、新約聖書「ガラテヤ人への手紙」の自分ノートを見返していて、聖霊が与える「実」と聖霊が与える「賜物」についての箇所が目に留まりました。

 

聖霊が与える「実」とは、物凄くざっくり言いますと「長所」や「良い人格」になります。

 

これは3系統に分かれ、1系統に3つずつ、合計9個あります。

 

  1. 愛 → 喜び → 平和
  2. 寛容 → 親切 → 善意
  3. 誠実 → 柔和 → 自制

 

この系統には優劣はありません。

 

1系統は他者への愛があり、その愛が喜びをもたらし、他者にも他者間に争いが減る(平和になる)。

2系統は他者が自分と違うタイプでもそれはそれとして受け止めることができる。これによって他者に親切にすることができて、それは善意による。

3系統は他者に対して途中で放り投げず誠実であること。これがトゲトゲしさのない柔らかな態度を示すことになり、そのために自分の怒りや衝動をコントロールできる。

 

このような流れですから、例えば3系統の人に1系統をしろと言うのは酷な話です。

テキスト構築が得意な方に化学反応図を作れというようなもの。

私に微分積分しろというようなもの。できません。

 

もちろん、すべての系統を網羅している方もいますが、人によって系統もどの「実」かも違うので、一概に全部を求めるのは無茶ぶりだとご理解ください。

 

 

そして、聖霊が与える「賜物」というものがあります。

「賜物」とは、神様から賜った物、いただきもの。

 

この賜物も3系統で、1系統に3つずつ、合計9つあります。

 

  1. 言葉に関する 預言・異言・異言の解釈
  2. 識別力に関する 知恵のことば(健全な判断力)・霊を見分ける力(良い霊と悪い霊の識別)・知識のことば(聖霊による知識)
  3. 信仰の力に関する 癒し・奇跡・賜物としての信仰

 

これも優劣はありません。

 

「実」と同じく、全部を持っていて当たり前ではありませんので、例えば1系統の言葉に関する賜物をお持ちの方に3系統の癒しを起こせというのは酷です。

 

 

 

集団において、リーダーになる人は2系統の賜物を授かった人に多いと言われています。

 

1系統のうち「預言(神様からことばを預かって人に語る)の賜物」がある人は、まま自分の思いを預言に組み込んで、人をコントロールしよとすることが多いので注意が必要です。

このような人は「この先〇〇は~~になる!」と言い、「それを回避するために(語る人の目論見)をするといい」と繋げるということですね。

「カリスマ」と呼ばれたりしますので、弁が立つ人にはご注意を。

 

 

ところで、「賜物診断」でググってみたところとあるキリスト教団体さん賜物診断のガイドライン(pdfファイル)を作っていました。

質問事項は125問。

賜物を25に細分化して、数字化した回答の合計が高いものが、自分に与えられた賜物だというものです。

 

私もやってみたところ、私の賜物がわかりました。

 

  1位 教師(聖書のことばについて説明をする者)の賜物

  2位 宣教師(国を跨いで福音を宣べ伝える者)の賜物

  3位 慈善の賜物

      勧めの賜物

  5位 知識(語る側はわからない神様だけが知っている事を人に示す)の賜物

 

となりました。

 

 

みなさんはどうお感じになるでしょうか。

 

私には牧師の賜物がないのは物凄く自覚しています。

そして説教を作ることよりも、みことばの意味をまとめて説明するほうが好きです。

ですから、神学校で説教演習が辛かった・・・!

しかし、聖句の分解や講解は大好きでした。

 

 

ちなみに最下位は3つあり、異言の賜物・異言の説き明かしの賜物・悪魔祓いの賜物でした。

たしかに私は異言というのに触れたことがありませんし、エクソシストにはなれそうもありません。

 

 

さて、教会では五役者(ごえきしゃ)と言われる伝統的な重要な働きがあります。

 

  • 使徒
  • 預言者
  • 伝道者
  • 牧師
  • 教師
               ─エペソ4:11-18

牧師と教師が一緒になっている箇所もあるので、四役者で表現することもあります。

 

使徒は主イエスと行動を共にして直接「使徒」と任命された者。または幻において主イエスから任命された者です。

この使徒は初代教会の時代以降、存在しません。使徒的な役割の人はいます。

 

預言者は神のことばを預かり、それを民衆に伝える者です。最後の預言者が主イエスに洗礼を授けた「洗礼者ヨハネ」ですからこれも初代教会以降いないとされます。

こちらも預言者的な役割の人はいます。

 

となると、「的な」ではない役割で現代いるのは「伝道者」「牧師」「教師」という残りの三役者になります。

 

 

どのような役割なのでしょう?

「パーティを開く」という状況に例えるとわかりやすいです。

 

 

 

使徒・宣教師の役割を担うAさんが「パーティをしよう!」と発案します。

預言者の役割を担うBさんが「それならパーティにはクラッカーがあるといいね。何時くらいにしようか」と段取りを考え提案します。

伝道者の役割を担うCさんが「「みんなに知らせないとね、連絡しとくよ」と行動を起こします。

牧師の役割を担うDさんが「連絡漏れてる人いる?その人に伝えておくね」とフォローに入ります。

教師の役割のEさんが「クラッカーっていうのはこういうのでね」と知らない人向けに分かりやすく解説をします。

 

 

それぞれ役割を担う人たちがそれぞれの働きをするのでパーティがうまくいきます。

そしてこれがポイントですが、それぞれが違う働きなので、自分以外を「良し悪しだ」と裁く必要はまったくありません。

この五役者に優劣、順位はありません。ここ重要です。

牧師が偉いわけでもなく使徒が偉いのでもないです。みんな横一列で同等です。

 

使徒的発想をするAさんは

「あそこでもパーティしたいな」

「パーティやるの必要だな」

と新しい場所を切り開く、宣教/伝道の発想があるのですが、牧師・教師的発想の人にはそれはありません。

牧師・教師は開拓者ではないのです。

 

それぞれの役目があり、そのような賜物があることを理解する必要が出てきます。

つまり、一人がすべてをこなすものではありません。

全部できるのは主イエス以外誰もいませんので、先に書いたように他の賜物もやれというのは酷です。

 

 

イエス様はこのような「チームで動く」発想で教会を建て上げられているのですが、多くの教会には牧師しかいないため、教師・伝道者・使徒性のある人や預言者的な人が眠っている状態にあります。

一極集中的になっているのは賜物以外のものをやって当たり前になっているので負担が大きく問題があるのですね…。

 

ということで、今回は賜物のお話。

私の賜物は聖書教師ということですので、より一層、分かりやすく言葉を噛み砕いて解説できるように勉強していきます!

(この神学の勉強がなにより楽しいです)

 

信仰生活が長く敬虔な方には退屈で、当たり前のことだったりしますが、私はアメブロ前(Yahoo!ブロガーでした)から「分からない人が分かる言葉で解説する」を最重要視していますので、そこは生暖かく、草木の影や建物の裏からこっそりと見守っていてくだされば幸いです。