【Ⅰ列王記19:1~8】逃げるべき時は逃げよう! | あなたの心と魂を励ます[ちゃぷれんろごす]

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こんにちは。

メンタルケア心理士®のなぎさです。

 

 

私たちは、とかく「がんばれ!」「負けるな!」と言われます。

心が限界であっても、周囲から「逃げるな!」と言われることもあります。

 

 

目標としているものがあり、その道筋にあるハードルであればどうしてもそれを越えなければならない──というものも確かにあります。

ですから、こういう場合は時間がかかってもいいのでハードルを越えられるように足元を固めていく必要があります。

 

そうではない場合、このままここにいると自分が明らかに将来の事を考えても良い方向にいかない場合、逃げてもいいのでしょうか?

 

 

今回は、エリヤという預言者から見る「逃げてもOK」なお話です。

第1列王記19:1~8です。

 

 

──北イスラエル王国7代目国王のアハブは、ツロとシドンの王様(兼祭司)エテバアルの娘イゼベルと政治的同盟を締結するために結婚しました。

この夫妻は王妃のほうが王よりも主導権を握っています。いわゆる「かかあ天下」の強化した感じです。

王妃となったイゼベルにより北イスラエル王国にバアル信仰というが流入します。

バアル信仰は、恍惚状態になって自傷行為を行ったり、宗教儀式として淫行が行われるものです。

 

北イスラエルにいた預言者エリヤは男神バアルの預言者450人と「どっちが本物の神様か勝負」をすることになります。

男神バアルを450人の預言者がいくら大声で呼んでも、自分の身体に刃物で傷をつけて呼んでもウンともスンとも。何も起こりません。

エリヤが主を呼ぶと、祭壇があっという間に火で焼かれました。エリヤの勝ちです。

 

その続きが今回の19:1~8の箇所になります。

 

イゼベルお抱えのバアル預言者たちが全滅したのを知った北イスラエル王国の王アハブは王妃イゼベルに「こんなことがあった!」と言います。

すると王妃イゼベルは「明日の今ごろまでにエリヤ!お前を○す!!」と殺害宣告をします。

 

エリヤは逃げます!命の危機です。

相手は国王と王妃です。実力行使をされたら、ただのおじさんであるエリヤは一捻りで○されてしまいます。

エリヤは主の言葉を預かる預言者ですが、貧しい地方出身で身分は決して高くない普通のおじさんなのです。

 

荒野に1人で逃げて、エリヤは主に命を取ってくださいと懇願します。

恐ろしい国王と王妃に○されるより、主に命を取ってもらったほうがまだマシ!という危機的状況です。

 

 

さて、ここで主の御使いが現れるのですが、エリヤに何を言うでしょうか。

 

「起きなさい。立って、アハブとイゼベルに向かいなさい。わたしは彼らをあなたの手に渡している。恐れるな。わたしがお前と共にいる。」

と言うでしょうか。

 

違うんですね。

御使いを通して主が語られたのは、奮い立たせる言葉ではなく「起きて食べなさい」です。

 

エリヤは主が用意してくれたパンと水を摂って食べました。

 

 

 

 

それからどうしたでしょうか。

力がみなぎって奮い立ち、アハブとイゼベルに向け顔を上げ、残る女神アシェラの預言者たちと対決するために行動したのでしょうか。

 

違うんですね。

エリヤは食べて飲んで、そして横になって寝たのです。

 

 

 

 

また御使いが来てエリヤに声を掛けます。

何と言ったのでしょうか。

「わたしの霊をお前に与えた。行け。彼らを打て」

と言ったのでしょうか。

 

違うんですね。

「旅路はまだ長いから、起きて食べなさい。」

休息を勧めたのです。

 

 

エリヤはどうしたでしょう。

彼はただ、起きて、食べて、水を飲んで、歩いた。それだけです。

 

歩いていたら、神の住まう山とされるホレブ山に到着していました。

 

 

私たちが生きていく上で、なんだかんだといつも危機的状況が訪れます。

命の危険を感じるものから精神の安定を脅かすものから、経済や社会的意義などを脅かすものから、あらゆる危機的なことが起きます。

 

戦うべき時は戦えと主は言いますが、そうではない時に主は「逃げるな!戦え!!」とは言っていないんですね。

むしろ「食事して、水分摂って、寝て、体力と気力を回復しなさい。そして歩きなさい」と言うのです。

 

歩くというのも、体力づくり的な意味で確かに鬱々とした時には有効です。

体を動かすことで抑うつ気分は確かに解消されていきます。

そういう医学的見地だけではなく、この場合の歩くというのは「前に進む」ということでもあります。

 

 

食べて飲んで寝るだけではなく、自分の置かれている状況から脱するために、自分の足で小さくてもいいので一歩踏み出すことが必要です。

歩幅は本当に小さくてもいいのです。一歩は一歩です。

 

どんな一歩になるでしょうか。悪くなる方向に向かう一歩にならないようにするには、どうすればいいでしょうか。

 

ここでこそ祈るチャンスです。

主に「前に進ませてください」「神様、私の手をどうか引っ張ってください」「神様、私の背中を押してください」と祈るのです。

これはキリスト教だけでなく仏教でも他の宗教でもそうですよね。

ツライ時こそ「神様!」とか祈ります。苦しい時こそ、祈ることができるのです。

 

この「少しだけ行動」をしてみる。

その少しを繰り返す。

そうしたらホレブ山に着くのです。

危機を脱することが叶うのですね。

 

少し危機を脱することができたら、主に感謝の祈りも忘れずにしたいですね。

 

 

 

完全に問題が解決することとはまた違います。

ここでは「その時の最悪な危機的状況からの脱出」です。これが出来る。

 

エリヤ40日40夜歩きました。

一カ月半くらい歩き通しだった、というのとは違います。

”鶴は千年亀は万年”のように、40日40夜は「長い間」みたいな意味合いの言葉です。

 

 

 

脱するのには時間がかかる事もあります。

それでも小さな一歩は積み重なると、継続すると、大きな一歩なのです。

 

 

戦わなくてはならない時同様、逃げなくてはならない時があります。

逃げるのは負けではありません。

戦うのと同じ神経伝達物質が逃げる時にも放出されますが、逃げるのは更に体力気力が必要だったりします。

逃げることも戦いであるのです。

必要であれば、逃げても大丈夫なのです。