主は心の打ち砕かれた者を癒し
彼らの傷を包まれる。
詩篇147:3
そもそも「癒し」とは何でしょうか。
辞書では「悩みや苦しみを何かに頼って解決したり和らげること」また「心理的な安心感を与えること」とあります。
ですから、癒しは「治す」「直す」とは違います。癒しは精神医学用語のデカセクシスと同義と言ってよいでしょう。
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デカセクシスは現実を現実としてそのまま受け止め、受け入れ、苛立ちや焦りを越えた心の落ち着いた心境です。解脱とも言われます。神学で見ると、デカセクシスはシャロームとも同義です。ヘブル語のシャロームשָׁלוֹםは「平和」です。
主イエスは復活後、弟子たちの前に現れる時、平安があるようにと声をかけておられました。
この「平安」を、主は、心が打ち砕かれた悩めるあなたに、嘆きのただ中にいるあなたに、こうありたいと思う理想とは違う現実の差に苦しむあなたに与えてくださいます。それだけではありません。あなたが他者から受ける心や魂に負う傷だけでなく、自分で自分に付けてしまったその傷も包んで、癒し、慰め、安心感を与えてくださいます。
悲しい時こそ、心が折れそうな時こそ、折れてしまった時こそ、主に現状を訴えてください。
「こうしたいのにこうなんです。なぜですか。どうすればいいのですか」と訴えてください。
人に言うと嫌がられたり煙たがられる愚痴でも、主に言えば祈りとなります。魂のうめきとともに、言葉にならない思いもすべて主はその耳に入れ、目に入れてくださいます。そして安心感という平安、癒しを与えてくださるのです。
それから、主がもっともよいと、益となるとされるものや方法を備えてくださいます。
安心して、弱い自分を主に委ねていきましょう。
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