日系アメリカ人作家ヒサエ・ヤマモトの短編 "Seventeen Syllables" (十七音節、1949年)は、アメリカの日本人移民の家族を描いた短編小説。
第二次世界大戦前のカリフォルニア。15歳のロージー・ハヤシは、母親トメと父親と三人で農業を営んでいる。アメリカ生まれのロージーは、日本語より英語が得意であるため、母親が日本語で話しかけてもYes, Yesとおざなりに応えることも多かった。トメは俳句を熱心に詠み、日系の新聞に投稿していた。あるとき、彼女の俳句が賞をとったという知らせとともに、新聞社から人がやってきて、彼女に記念品の絵を渡す。もともと俳句に熱中している妻のことを気に入らなかったロージーの父親は、その絵を破棄してしまう。そんなことがあったのちに、トメはロージーに、自分がなぜ父親と結婚したかを話す。実はトメは日本で愛し合った男性がいたが、その人とは結ばれず、その人との間にできた子供も死産してしまった。トメは死ぬ代わりにアメリカに来たという。そしてロージーの手をつかみ、「絶対結婚なんてしないでほしい」という。戸惑いながら、Yes, Yesとロージーは応えてしまうのだった。
といった内容。
この有名な短編を若い時に読んだ時は、ロージー(娘の側)に自分を投影していたけれども、いま改めて読むとトメ(母親)の人生はどんなものだったのかと思うようになった。
わたしの祖母は1920年初頭にカナダのバンクーバーに移民していて、少女時代をカナダで過ごしている。祖母は「セーター」を「スエタ」といい、チャイナタウンに住む中国人から習ったという「チャオメン」をよく作ってくれた。祖母はバンクーバーで出会った同郷出身の祖父と結婚、長女(わたしの伯母)を出産後日本に戻ってきた。その後四人の子供を産み、その中の一人がわたしの母親。
祖母の妹(わたしにとっての大叔母)はカナダに留まり、第二次世界大戦中はバンクーバーからの強制移動を経験した、と聞いた。大叔母ももう亡くなり、彼女の親族はいまトロント周辺にいると思うけれども、詳しいことはわからない。
もし祖母が日本に帰って来なかったら、もし祖母と祖父がずっとカナダにいたら(大叔母のように)、わたしはどうなっていたのかと、ふと考えることがある。
小さい頃、祖母にカナダでの暮らしについてたずねたことがある。おばあちゃんも英語をはなしていたの? どんなところに住んでいたの? 祖母は「もうあんまり覚えてないね」と言って顔をふと横にむけた。こども心に、なんとなくきいてはいけないことだったかな、と思われて、それ以上彼女にカナダのことを聞くことはないまま、数年後彼女はこの世を去った。
もうすこしきいておけばよかったなと思うと同時に、話したくないこともあったかもしれない、と思う。
祖母が亡くなったあと、彼女の結婚式の写真が出てきた。祖母と祖父は最後まで仲の良い夫婦でした。
