「だから 云々」と、話し始めに「だから」を付ける人がいる。

 

往々にして多々いる。

 

私はぶっちゃけ嫌だなぁと感じる。

 

なんで「だから」で始めるかなぁ と思う。

 

もちろん、会話の中で、文脈の中で必要なときもあろう。

 

私は全面使用禁止とかを訴えているのではない。

 

でも、どうにも無自覚に「だから」を連発する人には

 

正直参ってしまう。

 

(ちなみに「めちゃくちゃ」を当たり前に言う人にも参ってしまう)

 

“だから野郎“(失礼)は、濁音にはある種の強調というか

 

攻撃性のようなものが帯びる事をご存知無いのだろうか?

 

都度「だから 云々」と話すうちに当人も聞いている方も

 

なんだかボルテージが上がっていく。

 

建設的に上がっていけば良いけど、

 

攻撃的に上がっていくと険悪な方向に向かっていくのではないか。

 

 

 

 

例えば、我らが“マジンガーZ“

 

この言葉の響きを耳にすると、いかにも強くて頼れる奴

 

という感じがしないだろうか?

 

濁音の強調効果の好例に思う。

 

でも、ここから濁音が取れて “マシンカーセット“となると

 

あら?なんだか弱くて情けない感じになってしまう。

 

また、“GPz ジーピーゼット“ これはいかにもドッシリと

 

カッコ良い感じがしませんか?

 

これが濁音が取れて“シーピーセット“となると

 

スカチューンしました、みたいになってしまう。

 

 

 

 

ちょっと脱線してしまった。

 

会話において、言葉の響きによって話す内容の意図、

 

意味、印象などが大きく違ってくることがあるだろう。

 

たとえ表情はニコニコしていても「だから 何々」とか

 

「だから ああでこうで」とか言われたら

 

私としてはニコニコして聞いてていいのか、

 

難しい顔をして聞くべきなのかちょっと困ってしまうのだ。

 

いや、もっと本音を言えば、響きのキツイ「だから」を

 

無自覚に連発しないでいただきたいと願う。

 

 

 

 

かく言う私も、会話はたどたどしいし、正しい(?)日本語を話せている

 

自信はありません。

 

ただ、濁音の無自覚な多用、その代表例として「だから」の連発が

 

もしかしたら会話を図らずも攻撃的な方向に向かわせてしまうのでは

 

なかろうか、という話でした。

 

在りし日のGPz750