七戸ときどきラスベガス -4ページ目

七戸ときどきラスベガス

徒然なるままに…危険思想

一般的に、裏日本は“排他的”、“陰湿である”というイメージが定着している。やはりそこには、裏日本独自の発展の仕方があり、独自の文化を築き上げてきた、という意味合いも込められている。私は、秋田県に僅か、ほんの僅か、住む機会を得た。そこで、私は不思議なことに、その土地の霊界とそこに居た霊魂との交流をはかることができた。

 

八幡平と呼ばれるその地域は、大変なスピリチュアルな人たちの集まりであった。生えている木々、そびえ立つ山々、米代川の水流、その土地では、それら全てが美しすぎた。国内に、手付かずの自然が現存している、という事実に心が躍った。そして、その土地の人たちは、その自然に鎮座する霊魂、と交流し、そこから“生きる知恵”を得ていたようだ。

 

彼らはスピリチュアルであると同時に、大変思いの強い人たちの集まりであった。その思いの強さは、時として神がかり的であり、体調に影響を及ぼすほどであった。私は、その霊的原動力は何か、八幡平の自然に棲みつく霊と交流を始めた。

 

どうやら、おそらく、そこに鎮座する霊魂の背後に、“〇〇天皇”以前の、“〇〇の命”と呼ばれていた陛下の遠い先祖が埋葬されている地域であることを感じた。あの土地の美しさは、神々によるものであることを知ったのである。その昔、都から裏日本を伝って、秋田を埋葬の地に選んでいた、そういう時代が存在したのだ。そしてその土地の人たちには、かつて埋葬されていた神の霊魂が取り憑き、その土地を治めているようだ。おそらく今でも、人身御供の風習が強く根付いているのであろう。

 

今までの価値観や考え方がある意味通用しないその土地で、自分自身は“余所者”であり、その土地の人間が、“神からのメッセージ”を受け、聖書に書かれている、アブラハムがイサクを神に捧げる、などという事例が起こる時、余所者が狙われるのでは、などと訳の分からない妄想まで湧いてきたので、結果、その土地を後にすることにした。

 

人生において大変貴重な、そして価値のある時を過ごすことができた。

自分の生まれ育った土地に生きていく、それが最も妥当である、と判断したからである。