イニシアチブ | 七戸ときどきラスベガス

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徒然なるままに…危険思想

人生、どうも受け身な気がしてきている。音楽大学の受験も、留学も、結婚も、あまり自分の意志が反映されず、の結果のように思えて仕方がない。確かに、幼いころから国際結婚している親戚筋の影響で海外へのあこがれはあったし、留学への夢もあったが、どうも”自分がこうしたい!”と思うというより、誰かの決定により自分の人生が決められてしまっていた、と言ってしまっていいと思う人生だ。

 

過去のブログに、幼少時からの”カルト宗教”を強制信仰させられてきた、と度々書いている。そう、私の人生観や価値観、そして物事のとらえ方というのは、この”カルト宗教の教え”ベースのものだ。その善悪がどうこういうより、気が付かない間に、自身の人生に対するイニシアティブ、というものを、目に見えない”宗教”や”霊的ななにか”に取られているという結論に至った。

 

昔、友人に言われたことがある、”ダンカはindifferentなところがかなりある”と。indifferentというのは、”無関心”という意味がある。彼は、私が何にも関心がないという意味の”無関心”ではなく、どっちに転ぼうがどっちでもいい、という意味での無関心であると指摘してくれた。さらに、その結果に対して自分の感情はほとんどない、ということも。私に対し非常に観察能力の優れている友人で、その発言ではっと気づかされれた。その”カルト宗教”で習った、”神の仕組み”に対してあまりにも従順でありすぎた自分であったことが。

 

その宗教でならう”神の仕組み”というのは、神が人生のすべてを決定し、それに自分の身をゆだねる、的な考え。もちろん自身の人生に対するイニシアチブはない。英語でいうところの、Divine Arrangement. 神のアレンジのもとの人生。

 

”カルト宗教”に属していた時期は、その目に見えない”カルト神”のアレンジ人生がいいことだと思っていた。いざ、カルトから離れて、宗教は生活の二の次、ということに気づき始めた最近、果たして、自分の人生は、自分で考えた結果のものであったか、と考えさせられている。たまに第三者の私への批判の言葉として、”無責任”であることがあげられるが、神による人生なものだから、第三者からみて、私の導き出した結果によるものを、”あ、あれは神様が、宗教が、きめたんだとおもう” 的な、言い訳を常にしてきた。

 

カルト神か、カルト宗教に自分の身をおいたときにひらめいた今回の”結婚”。相手をみれば自分の欠点も見えてくる、ある意味自己啓発的な部分もあるが、育った環境や文化の違いから、共に生活するということのむつかしさを認識するに至っている。今までも、だいたい3-4週間後には、”別れましょう”的な結論に至るのだが、今回もいつもの例にもれず、”セパレーション”や”ディボーズ”の言葉がちらほら出始めている。

 

自分の人生は自分が決定する、というイニシアティブを、”結婚うまくいかねーぜ!”を気づいた今現在、取り始めようかと考え始めた。Custodyの問題もあるので一つ一つ調べて地道に動こうと思う。