本日は3月1日(火)朔日ですお祝い

日本の神様の御縁日であり、豊川柁枳尼眞天様の月初めの御縁日でもあります。

 

豊川稲荷東京別院

私は先日の2月27日の日曜日に今年数度目の参拝をさせていただきましたお願い

圓福山豊川閣妙嚴寺 東京別院というお寺です。

 

 

日曜日ですと、かなりの参拝者の方達でいっぱいでした。

相変わらずのお寺での二礼二拍手のお参りの方達が多く見受けられました拍手キョロキョロ

中にはうすうす分かっていて、戸惑いながら参拝している人もいました照れ

 

!?実は私もよく手をたたきそうになります。

(お寺によっては、ここはお寺ですので拍手は禁止、と撮影禁止と共にちゃんと書いている所もあります)

 

修験道では神社仏閣関係なく、修法上や儀礼上で柏手(かしわで)というか柏手(はくしゅ)

をします。

 

 実は本来どちらも同じですが、私達には意味や使い方が違います。

 

二礼二拍手はは古来からもありましたが、

二礼二拍手制度

強制的に明治政府とその宗教関係庁者によってバラバラだった

儀礼を統一した物です。

(私の本音は二礼二拍手は好きです、清々しい儀礼ですしカッコイイですよね雷

 

これは当時は標準語も無くて、各地方、言葉も、神社仏閣参拝方もそれぞれバラバラだったそうです。

良いか悪いかは別として日本国をまとめていくためにも、言葉も宗教も一本化しようとしたのが

明治初期の日本です。

 

その一つが 神仏分離令と修験道禁止令でした。

 

豊川稲荷と最上稲荷と高尾山薬王院などのいくつかの寺院はあの手この手と努力をして

完全に壊されないまま残った寺院もありました。

 

その名残が、鳥居です!(このお話はいつかできればです)

 

 

その最悪の歴史が廃仏毀釈という仏様を打ち壊して、大事なお経や書物を焼却する。

なんともおかしな世の始まりでした。

人間が仏様を地獄に落とした様なものです炎

 

修験道の方はその数十年後には反対に合い、許されるようになりました。

 

お分かりの通りその末路が昭和20年の終戦です。 戦争に勝てる訳がありません。

 

 

ルンルンお話は戻りまして、

私でも一般の服装でお寺で、拍手をパンパン打っていたら知らない人は

不謹慎な人だ、と思いますよね、

 

(俺は山伏だからいいんだよ、とはいえません)

表現が少し違うかもしれませんが、郷に入っては郷に従え、

ということです。

 

現在でも出雲大社では四拍手なのは皆さんご存じだと思います。

他には三拍手もあります。

 

ここで疑問が出てきますが、明治の神仏分離令まではお寺も神社も、日本の神様も仏様も皆一緒の頃はどうしていたのでしょうか!?

 

当時は真言密教と天台密教の神社や神宮寺が多くそれでも、

人々は、周りの人達の教えで風習や礼儀が現在よりも良く分かっていた様子です。

上手く使い分けていたのかもしれません。

 

その中で江戸時代は七福神がはやり、広がりました。

(神仏混合のいい例だと思います)

 

 

例えばですが、

こちらの御堂は仏様、こちらの御社は神様、という感じと

分からなければ両手を合わす合掌だけ、、、それとこちらは権現様なので!?

こちらは明神様なので!?と。

 

お稲荷様は!?というと、明神様なので権現様に似てるので!?

柏手と合掌 どちらでもいいのかな。等々と。

 

明神様と権現様という名前が出てきました。

上の名前は仏様系という意味でもありますし、神仏混合の代表的な名前でもあります。

重要(姿形と名前が変わる場合がある事を覚えていてください)

 

権現様という名前は

高尾山の飯縄大権現様は不動明王様という仏様の化身でダキニ天様でもあり長野の山の神様

でもあります。

 

仏様が仮の姿で日本の神様に変身して現れたのが、権現様です。

熊野権現、蔵王権現 等々、、

(徳川家康公の権現様は東照大権現様ですが別に云われがあります)

 

明神様という名前は

天照大御神様の皇祖神や出雲の神々の天津神や国津神にはあまりつかわれません。

大神や命、御霊等。たまにそれでも無理やり名前を変えて何々明神という場合もありますが。

 

 

どちらからといえば、元々の古代からの神様や氏神様や人間から神様になった場合や動物霊、

自然霊から神様になった場合に使われます。

それとこちらも仏様系統と私達庶民に身近な神様に使われる場合があります。

 

代表はやはり、稲荷大明神や、私の近所でいうと寒川大明神 という御名前になります。

 

ということは日本のお稲荷様も本当は仏様系統のダキニ天様に近いのかなということになってきます。

 

やっとここで眷属様のお話になります。すみません笑い泣き

 

お稲荷様、ダキニ天様の眷属様のジャッカルさん、白狐様、お狐様。

弁財天様が本来乗っていたジャッカル様。

飯縄大権現様が乗っている大きな白狐様も人間が分からないだけで、

本来はどちらも一緒の霊獣様、神獣様です。狛犬様や御犬様もそうです。

蛇様、一部の龍神様もそうです。

 

中には眷属や家来でもお不動様の二大童子の様にかなり高位の神仏の眷属様もいらっしゃいます。

 

 

ダキニ天様はインドのヒンズー教や地元の宗教が発祥で、

仏教を経て改心修行をして悪神から善神になっていきます。

 

そこでは眷属のお狐様やジャッカル様が全然でてきません、眷属は別の鬼神がほとんどです

 

ここで登場するのが弁財天様です

大辯財功徳天様、辯天様です。

中国から日本に渡っていくうちに弁財天様がダキニ天様と習合して日本でよく見受けられる、白狐に乗った着物姿の女神様に変身したというか権現したということです。

 

伏見稲荷大社の古代(稲荷山)のお話と外国から来た、秦氏と弘法大師空海様の流れから来ると。。。

 

イナリヤマ、、、白蛇の神様、龍神様と白狐様のいる池と山、~眷属のジャッカルに乗った弁財天様、、秦氏と弘法大師空海様、とやってきた猿田彦命様、ダキニ天様、~

お狐様達、、稲荷大神様達、

ちゃんと男性の神様で白狐に乗った宇迦之御魂様もいらっしゃいます。

(宇迦ということは宇賀神様と同一といえるかもしれません)

そして現在の日本のお稲荷様と日本独自のダキニ天様になった様子です。

 

やはり弁財天様繋がりになります。

 

特に現在の豊川柁枳尼眞天様を含めてダキニ天様は吉祥天様と弁財天様のお姿をとても反映しているというかそのものだと思います。

 

江戸の街では当時、お稲荷様といえば神社や御社、家の中の神棚まで大体がダキニ天様だったという逸話があります。

あながち逸話ではないかもしれませんね!!

 

   本日はこの位です。

       今回もどうもありがとうございました犬トラ🦊

                                    鶴島大顕

 

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!羽田さんという、修験道のお坊さんが書いている本です。共感できるところがありますので

 お勧めします。