本日は11月21日(日)です。 高尾山薬王院と当方の神仏の御縁日です
弘法大師空海様の御縁日でもあります。
今回はお話が八王子と日本橋に飛んでしまいますがお付き合いください
東京都八王子市の武蔵野陵を中心とした甲州街道沿いはコロナ過で中止していた
八王子いちょう祭りは久しぶりの開催です。
うちの事務所前は近所なので街道沿いも大変な賑わいです。
武蔵野陵 参道前
事務所前
甲州街道沿いのいちょう並木は葉っぱが落ち始めましたがとても綺麗です
今回のいちょう祭りは露店やフリーマーケットの数も少なめでした。
お昼ご飯はこちらで買いました。
いちょう祭りは以上です。近所のお話しですみませんでした
本題です日付は戻りまして、今月の11月2日(火)に
東京日本橋の小網神社を参拝させていただきました
御縁があると仕事後でも急遽参拝させていただきます。
小網神社(こあみじんじゃ) 初参拝です。
由緒や詳細は神社の公式サイトでご覧ください。
小網神社オフィシャルサイト | 強運厄除・東京銭洗い弁天 (koamijinja.or.jp)
今回は深川方面でたまたま仕事があり終了後の午後に参拝をさせていただきました。
こちらの小網神社は東京では有名なパワースポットとして連日賑わっていますが当日も参拝者が途切れることが無くて 参拝者が写らない瞬間の写真撮影が困難でした。
何しろ強運の神社で有名で数々の逸話がありますが大二次世界大戦の時の逸話は驚きです。
授与品のお守りやお札の種類と数は小さい敷地内とは裏腹に圧巻です。
オフィシャルサイトを必ず見て下さいね
私の場合は沢山のお守りやお札を見ているだけでも楽しめました。
御祭神は 倉稲魂神(うかのみたまのかみ)様
市杵島比賣神(いちきしまひめのかみ)様 (弁財天)様
福禄寿(ふくろくじゅ)様 です。
こちらは元々は千年以上前に恵心僧都というお坊さんの開いた観音様と弁天様をお祀りした庵でした。 要するに地元の方の為の小さな可愛いお寺でした。
大体が最初は神社かお寺のどちらかで神仏習合の為に合体して主祭神や御本尊の名前や由来から神社かお寺の名前が決まってきます。
小網神社の場合は最初に鎮座した仏教の弁財天様がちゃんと現在もこちらにいらっしゃいます。
その後いらしたお稲荷様は現在主祭神様になっています。
こちらは日本の神様の倉稲魂神(宇迦之御魂命)様です。
稲荷神社ですがこちらは赤い鳥居ではありません。
両主祭神様といっても過言ありません。
勿論、福禄寿様もちゃんといらっしゃいます。
本当に神社かお寺かを見分けるのが難しいです。
由緒や伝承が分かればですが、それさえも書き換えられたり間違っていたりする場合があるのでとても判断が付けにくいです
参拝の仕方や作法ですが
神社と書いてあれば神道式に柏手を打っての挨拶ですが豊川稲荷や高尾山薬王院の様に一見分からない神社仏閣があります。
そこでお坊さん達を見かければそこがお寺だと分かりますが高尾山薬王院の場合などお寺の中にも飯縄本社や浅間神社の神社がある場合があり、一般の人達はその様な場合はもうどう使様もなくなってしまいます
私達の真言密教の修験道は迷うことが少なく 神社仏閣、神仏がすべて大日如来の化身と観想して三礼をして金剛合掌をして般若心経と真言と御法号等を唱えてお願い事やお話しをして三礼で済んでしまいます。
しかし一般の方や他の宗派の方達は迷ってしまうのは当たり前です。
以前のブログでお話した、分からなければどの神社仏閣でも作法に捉われずにですが取り合えず柏手だけは遠慮しておいて、一礼して普通の合掌だけでお経や祝詞や真言や御法号が分かれば唱えて願文やお話をして一礼で終わる。 のが良いかと思います。
とにかく豊川稲荷では柏手を打っている方が大勢いらっしゃいます。
眷属様のお狐様がびっくりしてしまいます
上野の清水観音堂の場合は看板を立ててあり
(こちらはお寺です、柏手を打たないで下さい)と前置きしているお寺もあちらこちらであります。
しかしこんなことをいっても清水観音堂の天台宗は護身法の後に柏手ではなくて拍手をします かしわでではなくて、はくしゅです。
しかも天台宗は神道の影響が含まれているのも事実です。
真言宗は基本的にですが護身法の後に拍手はしませんが修法中によっては拍手(はくしゅ)をします。 真言宗も弘法大師空海様の神道の影響が含まれているのも事実ですが。
元は はくしゅ と かしわで も同じですが込められた意味合いと観念が違います。
何が何だか分からなくなってしまうと思います。
ですので上の うさぎ印の内容で良いと思います
そこで小網神社のお話に戻ります。
最初鳥居をくぐったらすでに弁財天様が仏様だと分かります。
(今回は由緒をあまり調べずに行きました)
ここが元はお寺か神社ははっきりしてませんでしたがやはり仏様の弁天様でした。
お稲荷様は日本の神様だという感じは受けました、福禄寿様はどちらでもない神様だという感じです。
まさに神仏混合の神社の代表ですが中で御祈祷が始まり神主さんが出てきて初めて今は神社なんだなと気づきました。
江戸時代までは元は地域の神社仏閣でしたが明治以降に神仏分離で稲荷神社としていた期間があって、それから弁財天様が戻ってこられた様子です。観音様は戻ってこられなかった様子です。
とても親しみやすい地域の人達の神社ですので、こじんまりとした雰囲気が更に親しみを覚えます。 確かに参拝というか、お参りという言葉の方が合う神社ですのでお勧めします
確かにこちらの神様と仲よくなったら強運を授けてもらえそうです。
小網神社の様に神社の中に辯才天様の様な仏様がいらっしゃる場合が沢山あります。
明治維新後の廃仏毀釈令で仏様の名前を無理やり日本の神様の名前で御祭神にしてしまった例が沢山あります。
又は小網神社の様に弁天様や観音様を他へ廃仏してしまった例とその後仏様を戻した例などがあります。
色々な事情があって当時は住職さんや神職さんは命がけで神仏を守ってきました。
どこの国も政治1つの事情で神仏に恐れ多いことをするものですね
弁財天様、お稲荷様、ダキニ天様の詳しいお話は長くなってしまうので次回お話します。
皆さんの大好きな 龍神様、お稲荷様、ダキニ天様、弁才天様はすべて関連性があってそれぞれの神社仏閣に鎮座しています。
高尾山薬王院や豊川稲荷を参拝するとそれが良く分かります。
ただ単に仏教のお寺や神仏習合の慣例だということではありません、そこにはちゃんと理由があって日本の神様も一緒に存在します。
本日はどうもありがとうございました
鶴島大顕
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