4月16日(金)は東京都国立市の谷保天満宮を参拝させていただきましたお願い拍手

 

関東の三大天神社です。

菅原道真公の三男の菅原道武公がお父さんの神像をご自分で刻んでお祀りしたそうです。

その後に道武様自身も親子一緒にお祀りされています。

    

こちらの天神様は歴史も古いばかりか天満宮の名前を許されているので谷保天満宮と呼んでいます。

親子2人の天神様がいる珍しい神社です。息子さんの道武公が一生懸命に働いています。

この国立市は名門大学の国立大学の一橋大学をはじめ都立の国立高校や私立の桐朋学園などの名門校がある地域で文教都市としても有名です。 そこに学問の神様が鎮座されています!!

 

 交通安全祈願の発祥の地でもあります。

まだ自動車が普及していない頃、明治天皇の息子さんの有栖川宮威仁親王殿下が全国の自動車仲間を集めて皇居からこの谷保天満宮に何十台かの車列を統率してやって来ました。

       その当時に初めて自動車と搭乗者をお祓いして御祈祷をしたのが日本というか世界で初めての交通安全祈願でした!

 

表現の仕方が大変失礼ですが日本で初めてのカークラブの走行会となり、現在もその宮様が作ったクラブがちゃんと残っていますニヤリ私が勝手に判断するところの日本で最初の暴走族の集会の始まりでした。

(沿道で見ていた当時の人達からすれば物凄い機械が爆音をあげて列をなして走っていくのを見たでしょうから

 あながち言い過ぎではないかと思います)グラサン

 

!?なぜ青春の思い出の神社というのかは、恥ずかしいですが。

私がまだ都立片倉高校の高校2年生の17歳頃に当時お付き合いをしていた2つ年下の中学3年生の彼女に誘われてきて参拝したのが初めてでした。 名前はゆみこちゃんでした音譜周りの仲間はよみこと呼んでいました。

どこかほんわかとしたタイプの彼女でした。

バイクではなくて当時は国鉄の南部線で谷保までやってきたと思います。

 

彼女は高校受験の合格祈願の為にとてもお願いを叶えるので有名な谷保天神様という神社があるのでと

神社私を誘ってくれて一緒にやってきました。

絵馬を授けていただいてお願い事を書いていたのを今も覚えています。

恥ずかしさの中、一緒に手を合わしてた様な記憶がちょっぴり残っています照れ

彼女は勿論その後、希望校に合格してそれから短い間でしたがお付き合いをして自然消滅という

学生時代によくある別れ方で終わってしまいました。(実は私のヤンキー仲間の妹さんでもありました)

  よくある青春の1ページでした音符

 

    

    こちらの谷保天満宮の摂社にはお稲荷様を始め各神社や市杵島神社の弁天社もあります。

 

私は見えたり感じたりしていたにも関わらずに10代は神社仏閣の参拝や信仰に至っては皆無の状態が続いていました。

しかしこの神社だけはなぜか気に成ってしまっている自分がいました、デート参拝をしたからではなくてです。

この神社以外の自動車の交通安全の御祈祷は高尾山薬王院か高幡不動くらいしか思い当たらず他の参拝はそんなにいきたいとは思わずに八王子市内の神社仏閣に行くのがせいぜいでした。

 

この谷保天満宮だけは時折気が向いた時だけは数年に一度ですが参拝にやってきてました。

それが30代で何回か、40代で確か、一回しか着た記憶がありません、

そして50代最近やっと今回の参拝です。

 

いつもの様にこの谷保天満宮の御前の甲州街道は何百回、何千回も通っています、自動車に乗って通る過ぎる際には軽く会釈する程度か知らんぷりの状態の時もありました。

 そして時期が来ると(呼ばれたとはいえません、)必ずそこにいく運命の様です。

 

宿命ではありません(宿命は現世では選ぶことが出来ません)、

運命の方は現世の自分自身で選んでいい悪いは別として進んでいくことが出来ます。

 

今思うとこんなに神社仏閣に恵まれた東京の多摩地区に住んでいるのにもったいなさを感じて

もっと早く色々な神社仏閣にいっておけば良かったなと思います。反面、今までの経験の積み重ねでしか分からない現在に神仏に会いに行けるのは更に最善なのかもしれないとも思います。

 

牛 10年位前に九州の太宰府天満宮に行ったことがあります、とても素晴らしい天満宮でした。

 今思うと大宰府はお父君の神社でこの谷保は御子息の神社という感じが伝わります。

 

東京の多摩地区の谷保天満宮は簡素ですがとても素晴らしい神社です。

是非とも一度訪れて参拝をされることをお勧めしますお願い

 

 

     次回は今年初めての静岡県の神社須山浅間神社にいってきましたのでご紹介します。

 

 どうもありがとうございました牛犬