明後日 3月14日(日曜日)は高尾山薬王院の火渡り祭です
高尾山薬王院公式ホームページ (takaosan.or.jp)
直前ですみませんが是非時間があれば行ってご覧ください。
高尾山薬王院の国道20号線(甲州街道沿い)の自動車祈祷殿の前の
大駐車場で厳修されます。
八王子市の街中にはこの上のポスターが沢山張り出されているのでご存じの方も沢山おられると思います。
コロナ過ですがどのくらいの規模と規制で行われるのかは分かりませんが、おそらく日本でも有数の火渡り祭(柴燈大護摩)だと思います。
私が高尾山の修験道先達の現役の頃は20数年間、毎年参加していました。 今回の春とは別に夏にも八王子祭りの一巻で八王子市民球場でも行われます。
去年は何れも中止でした
日本国中の大きな密教系寺院なら大体が火渡り祭を行いますが詳しくいうと柴燈大護摩供(さいとうおおごまく)を行うという事です。
普通の護摩祈祷の何十倍も大きな護摩です。
神仏習合なので大日如来様とお不動様を中心のその又五大明王様中心の密教曼荼羅の数々の仏様と本尊の飯縄大権現様と山神様と水神様、天照大御神様を中心の日本の神々の神様をお呼びして行う密教最大の行事です
大げさでしょうが、同時に位の高い仏様と位の高い日本の神様に会えるのは
この時しかないと思います、私は最初の頃に会場の上空に生まれて初めて大きな龍が現れたのを見たことがありました
その中の火生三昧(かしょうざんまい)の中に火渡りがあるので火渡り祭
と名付られています。
決してそれだけがメインコーナーではありません、全部の行程がメインといってもいい程に優劣が図れません会場でどんな種類の行をお見せするかは上の高尾山薬王院のホームページをご覧ください。
今回はコロナ過の火渡り祭なのでどのような形で行われるかは分かりませんが私が以前参加していた時のお話をします。
まず参加する人達は高尾山薬王院のお坊さん達(真言宗の僧職は山伏も
兼ねるというか一度は修験道の道を通ります)、薬王院の職員の皆さん、
私の様な修験道(山伏)専門の山伏、得度をしていない一般の行者さん、
そして訪れた信者さんや観光客やマスコミや、警察署、消防署の皆さん、
と近隣の米軍基地から来た外国の方達、多い時で総勢何千人から1万人と
いわれた時期もありました。
それとは別に招待先達といってお客さんの修験道先達、毎年ご招待して
来ていただいているのは
京都 醍醐寺の大先達、京都 狸谷山不動院の大先達
北陸 白山修験の大先達の皆さんです。
とにかく山伏の色とりどりの衣装の種類と違いが実際に見ることが出来ます。
柴燈大護摩の前にも色々な儀式を行い、(全員でその間何時間も火渡りが終わるまでお経と真言を唱え続けます)大勢の法螺貝と名人の法螺貝の
ソロも聞けます。
そして大きな護摩壇に火をつけて柴燈護摩が始まります やがて護摩壇が崩れ落ちるとまだ炎が立ち上がっている状態と撫で木やシバの葉やお札等の赤く炭状になった数十メートルの木々の上を履いていた地下足袋を脱いで裸足で私達山伏の序列順に入って行きます。
(私は何度か先輩の山伏がいるにもかかわらず高尾山護法会会長(御年70歳代)の次の2番手に火の中に入らせていただいた時がありましたが結構最初の順番はかなり勇気がいりました本当に火がまだ燃えています。
ですが一度も火傷をしたことがありません、ちゃんと修法と術が掛かっているからです。)
私達何十人かの渡り切った最後に少し炎が残っている道に観光客や信者さん達や子供さん達が渡って行き、そして術を解き終了です。
終了まで何時間か掛かる大変な1日となります。参加した皆さんが大変な修行です
その頃、私が所属していたのは高尾山薬王院の修験道団体の護法会というところに所属していました、名誉会長は薬王院の山主様です、実際のトップは会長で当時は加藤会長で私のお師匠様でした、それ以下数十名は在籍していましたがそれぞれがプロの修験道(山伏)でした。
大駐車場での火渡り祭の準備が3日前位から泊まり込みで始まります、
私は地元八王子なので毎日自動車で通勤になります。
法具の準備から幣束や日本の神様や仏教の仏様をお呼びする準備、
(この時に宿舎や祈祷殿の待合室で幣束や垂れやその他儀式に
必要な物の作り方や作法を習います、又運が良いと色々と伝授をしていただける絶好のチャンスでした)
会場の大柴燈護摩の設営(詳しく説明すると長くなるので省略します)
だけでも大変な人数と時間とその莫大な費用が掛かります。まさに大寺院
でなければ出来ません
その前の行程や色々なお話が沢山ありますが何れお話したいと思います。
私の在籍していた当時とまったく同じ状況と規模で火渡り祭が出来ないとは思いますが無理なさらない範囲でどうぞ御縁とお時間があれば
高尾山薬王院の火渡り祭にお出かけ下されば幸いです