京都 醍醐寺 五重塔(国宝)

 

上の写真は十数年前に高尾山の仲間と醍醐寺にいった時に私が

撮った写真でカメラワークの腕が悪いのであまり良く撮れていません。しょんぼり

 

高尾山薬王院は元々真言宗醍醐派の本山でしたが戦後に真言宗智山派の本山になりました。現在も当山派修験の中心で大峰の奥駆けや火渡り祭等の色々な行事で交流があります。

 

私が高尾山薬王院の修験道(山伏)になってからのお話です。

本来修験道といっても仏教系、神道系等の各派それぞれに特徴があり歴史も様々です。

 

高尾山薬王院 護法会は上の醍醐派の影響を多く含んではいますがとりわけ個性豊かな高尾山流の山伏集団でした。私の様な普段は普通の職業の人、お坊さんや神職や修験道だけで生活している人など様々で構成するプロの集団でした。グラサン

 

簡単には入会出来ず推薦か代々世襲でその又後見人がいないと入会出来ませんでしたが私の場合は推薦していただいたのにも関わらず組織に入るのが苦手で1年位考えて参加しました。

(そんな護法会も十数年前に解散して現在は高尾山のお坊さんが中心の修験道組織となってます。)

 

そんな組織を統率して修行やプロの修験としての仕事をしていかなければならないので

統率力が大切でした。

軍隊でいうと特殊部隊その物で私はその中に入隊した感じです。

 

ショボーン特に序列(上下関係)は厳しく年齢に関係なく先に入った者が上位で

一番は神仏で次に弘法大師空海様と修験道の開祖の神変大菩薩様それから護法会会長と高尾山の山主(御前様と呼んでます)

と次は誰という感じで、席に座る際は上座からとか行列を組む際はこの決りで食事の時はこの作法でと様々で気を使いました。

火渡り祭の柴燈護摩などの大きな行事や修法はそれこそ大変な修行場となりました。

 

まず最初の1,2年は加行と丁稚奉公です。

修験得度をして師匠や先生の元で十八道という密教のお坊さんが行う加行、お経、祝詞、真言、印、作法、法具の使い方から五体投地など実践の修行や修法の助法など様々でした。それから数年の間に潅頂等の色々な事を授けていただく様になります。

 

年末年始は高尾山に数日間泊まり込みでお正月の初詣の初護摩の助法から始まり節分祭の助法、それから火渡り祭と春と秋の大祭や他の本山の助法や自分の修行をしながら祈祷や相談事等もやっていきます。

 

そうしているうちに最初の頃から私の様な数年に満たない者にでも一応修験道の先達なので先生と呼ばれる様に成ります。

キャリヤ官僚の身分みたいに初めから他より高い位置に座らされて自分自身で勘違いしやすい状態にしてしまいます。

 

私もご多分に漏れずにそれに近い事があって、お不動様に戒められた事がありました。

笑い泣き常に謙虚であれと叩き込まれました。

 

修験道は修行を続けて大変な功績のあった先達の中には霊神様という神様になれる人もあれば、数々の修行を経て生き仏様になったりする行者もおられます。

 

私自身の様な者でも修験の装束を身にまとうと、おじいさんやおばあさんから小さな子供からも私に向かって手を合わせてもらっているのを体験すると身が引き締まる思いでした。時には縁起が良いからと私の修験装束の着物や法具にも触って喜んでいただける方もいました。

 

誰しもが修行をして行くと勘違いをしてしまう時期と神仏に戒められて気づいて改心して又修行に進む時期と両方があってこそが一番の修行になっていると思いました。

結局どんなに修行をしても人間であり生まれながらの仏だという事を実感させられるのが修験道の人間の修行です。

 

{本当は自分が神仏にすでになっているのだから何にも頼らず他の神仏にも頼らず自分自身だけを信じて生きる}又は「自分自身の力だけを信じて生きていける」

それも素晴らしい考えですしそう一生を通せたら素晴らしいと思います。

 

なかなか出来ない事で誰しも上辺の言葉で言えるかもしれませんし中には上の言葉通りに生きている人がいるかもしれません、ほとんどの人が弱い生き物でそれが人間です。節度を持ちながらの頼るということは悪い事ではありません、

 

何かに頼ったら恩返しもしなければなりません、

恩返しは魂の良い修行となります。

 相互関係すなわち縁が人間の修行の課題になってますキラキラ

 

神仏に対しての頼り方によりますが頼ってみて下さい。色々と道が開けて来ると思いますお願い

 

悩んだり、道を間違えたりしても修験道は進んでいきます。鶴島大顕