夏目漱石 没後100年 記念日 | Mckee♪ 日記

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犬のこと、日常のこと、ピアノコンクール、ジムニー、歌、心に浮かびしヨシナシゴトを綴っていきます。




今日は

津山から境港

そして津山。



やることやったら

とっとと逆戻りで

やらねばならないことを

ひたすらこなす!



そう、

今日はボーナス支給日

だったようです…。



それよりも、

今日といぅ日は

同僚の35才の誕生日

と覚えていたので、

「おめでとう🎉」

とお祝いの言葉をかけたら…




「今日は夏目漱石の命日なんですょ」



と返してこられました。

(@ ̄ρ ̄@)



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調べてみると…



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確かに、死没12月9日。



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しかも、

ちょうど今日は

没後100年の日じゃないですか!



奇遇〜。

・:*+.\(( °ω° ))/.:+



でも、

49才とは

随分若くで

亡くなられたんですね。



ウィキペディアによると、


1915年(大正4年)3月、京都へ旅行し、そこで5度目の胃潰瘍で倒れる。6月より『吾輩は猫である』執筆当時の環境に回顧し、『道草』の連載を開始。1916年(大正5年)には糖尿病にも悩まされる。その年、辰野隆の結婚式に出席して後の12月9日、大内出血を起こし『明暗』執筆途中に死去(49歳10か月)。最期の言葉は、寝間着の胸をはだけながら叫んだ「ここに水をかけてくれ、死ぬと困るから」であったという。だが、四女・愛子が泣き出してそれを妻である鏡子が注意したときに漱石がなだめて「いいよいいよ、もう泣いてもいいんだよ」と言ったことが、最後の言葉ともされる[14]




胃潰瘍と糖尿病だったんですね。




死の翌日、遺体は東京帝国大学医学部解剖室において長與又郎によって解剖される。その際に摘出されたは寄贈された。脳は、現在もエタノールに漬けられた状態で東京大学医学部に保管されている。重さは1,425グラムであった。戒名は文献院古道漱石居士。墓所は東京都豊島区南池袋雑司ヶ谷霊園



脳が東大に保管されてる?!




思わねところから

夏目漱石に

惹かれる日となりました。