備中高松城址 水攻めの舞台 | Mckee♪ 日記

Mckee♪ 日記

犬のこと、日常のこと、ピアノコンクール、ジムニー、歌、心に浮かびしヨシナシゴトを綴っていきます。




今日は

よい天気だったので

瀬戸大橋温泉から

まずは

備中高松城跡

高松城址公園へ。


{36663C36-0FE9-4332-8ACD-F499350AA276:01}


今はお城の建物は無く

公園になってます。



遠くに

最上稲荷の大鳥居が

見えてます。



{C382EA1A-1147-4B8A-95D4-A8A10639EEA0:01}


高松城といえば

黒田官兵衛により

水攻めで落とされた城。



その終盤に

本能寺の変が起こり

中国大返しで

秀吉の天下取りとなった

舞台のひとつです。


{DD570B6D-721C-4D67-BEEF-9DAF678F472A:01}

高松城址公園資料館



ボランティアの

歴史家の皆さんが

その辺の事を

無料で

詳しく解説して下さいます。



{A216BECE-E1A5-484B-AB94-8255E94A88B8:01}

高松城水攻めの模型



黒田官兵衛は

わずか12日間で

約3kmの堤防を造り

足守川の水で

湿地に建つ高松城を

湖の孤城として

水攻めしたものです。


{4F4116CC-BDE8-42CD-9D4B-CC9DC7E7FB84:01}


本丸の高さ7mに対し

8.4mの堤防を築いた

そうですね。



{C329B371-4083-444A-A9D9-ED9591973D8C:01}

高松城水攻之図



秀吉が陣地から

湖の孤城となった

高松城を見つめる絵です。



”歴史は勝者の歴史”

と言われるように、

築堤の話は

かなり
盛ってある

と考えられているそうです。



今では、

元々堤防のように街道が通っており

その端と蛙ヶ鼻の

300m程を堤防として繋ぎ、

足守川水取口より川流を閉塞して

水攻めした

と考えられています。



その築堤には

墓石が用いられたとか…

歴史ミステリーを

聞くことができました。



家の比較的近くに

こんな歴史の大舞台が

あったとは…

なかなか興味深いです。

(^_^)