大正三年にアメリカ土産のように持ち帰ったメンタムは、しばらくは商品として考えることもなく、兄弟社社員が皆ポケットに入れて持ち歩き、兄弟社の宣伝品のように配っていたらしい。
それが大正十一年から一つのアイデア商法が効を奏して突如売れ出し、やがて建築と並ぶ兄弟杜の看板商品となったものだが、それだけが輸入販売品だったのではない。
メンタムのように一家に一つとは普及しなかったが、一校に数台が入った教育楽器の販売があった。
兄弟社は米国ハモンド・オルガン社、ハードマン・ピアノ社の日本総代理店となっていたのである。
また住宅建築に関係して興味深いのは、米国製の家具、金物類、塗料などが扱われていたことである。