まだ若かりし頃、ふた月ほどアメリカにホームステイに行ったことがあるが、日本に戻ってまず感じたことが、

「日本の道路って、なんて狭いんだろう」

ということだった。


日本に長年住んでいる私でさえそんな風に感じたのだから、初めて日本を訪れたアメリカ人は、まるで平均台の上を歩くように狭く感じたのではあるまいか。



ここ10年余りマレーシアに住んでいたが、日本に一時帰国して感じることは、

「日本の家って、なんて不用心なんだろう」

ということだった。


マレーシアの住居の窓には、必ずと言っていいほど鉄格子がつけられている。


それは、窓ガラスを割って侵入されないようにするためだ。


今でこそマレーシアに出稼ぎに来る外国人労働者の犯罪は減ったが、10年ほど前までは、

「外国人労働者を見たら泥棒と思え」

が自分の中での戒めの言葉だった。



彼らによる金品の強奪は、まるで見境がない。


閉店した建物にトラックで突入し、鎖を巻いてATMごと盗んでいく事件もあった。


帰宅した車から降りるところを襲撃し、根こそぎ金品を奪うという事件もあった。


信号待ちをしている車の(助手席の)ガラスを割り、置いてあった鞄をバイクで持ち去る事件もあった。


それを考えると、日本は大いに隙あり!なのだが、

「そこまではしないだろう」

と呑気に構えても、不思議と事件が起きないのが日本だった。



しかしである。


街中に外国人が増えると、

「そこまではしないだろう」

という思惑は、あっという間に通用しなくなること間違いない。


国が違えば国民性も違う。


国民性が違うということは、モノの見方、つまりは価値観が違うということである。



マレーシアを代表するモスクにブルーモスクがある。


とても立派な建物なので、日本から客人が来ると、よく見学に行ったものだ。


モスクはイスラム教徒の礼拝施設、女性は肌を隠すローブを着せられ、髪を隠すヒジャブを被せられる。



「そこまでする必要あるか?」

といつも思うが、あるときボランティアのガイドがこんな話をし出した。


「もしもですよ、あなたの彼女がですよ、他の男の人から好色の目で見られたらですよ、気持ちいいですか?」


「そんなことないですよね、だから女性は肌を隠すべきなんです」

と。


確かに一理ありそうな話だが、ならば、

「女性が肌を露出すれば、男たちは好色の目で見る」

ということになるのではないか?


「女性が肌を露出すれば、男たちは放っておかない」

「だから何かあっても、それは男たちを刺激する女性の服装が悪いのだ」

という理屈になってしまうのではないか?


ここ日本では、女性が少々肌を露出していようと、理性が欲望を抑え込む(ことが共通認識)。


しかしながら、普段肌を露出しない女性たちを見慣れたイスラム系の男性が日本に来たら、果たして理性は欲望に勝てるだろうか?



外国人が日本に入って来れば来るほど、様々な価値観が混在することになる。


すると、いままで当たり前だったことが当たり前でなくなる。


それは、善悪は別として、致し方ないことかもしれない。


それでも覚悟はしておく必要がある。


危険は予知しておく必要がある。


そして、想定される危険に対してどう対処していくべきか、各々が、家族が、地域が、国が早急に考えておく必要がある。


特に、危険を取り締まる法の整備は喫緊の課題である。


東京の街は、すでに、価値観が違うと思われる外国人で溢れかえっている。