近所を散歩する。


いつもと違う道順で散歩するからといって、馴染みの風景が一変することはない。


かといって、どこも変わっていないかと言えば、どこかしらが変化している。


街ゆく人の服装が秋らしくなっていたり、いつもの店が知らぬ間に閉まっていたり…。


随分スズメが減ったとか、随分カラスが増えたとか…。


そういえば、最近まであった建物が解体・撤去され、更地になった土地をよく目にするようになった。


はて?


ここにはどんな家が建っていたかしらと思い出そうとするのだが、すぐに思い出せたためしがない。


おそらく、人間も同じである。


影も形もなくなれば、その人をよく知っていた人間でなければ、亡くなったことすら気づかないかもしれない。


更地になった土地には、いずれ新しい家が建つ。


そして、死ぬ人がいれば、生まれて来る人もいる。




ゆく河の流れは絶えずして 

しかももとの水にあらず  


よどみにうかぶうたかたは

かつ消えかつ結びて

久しくとどまりたるためしなし


世の中にある人とすみかと

またかくのごとし

(鴨長明「方丈記」)



河の流れは絶え間がないが、

同じ水が流れている訳ではない


水面に浮かぶ泡もまた、

できては消え、消えてはでき、

ずっととどまる訳ではない


世の中の人も住居も、

それと同じようなものだ



『人も住居も生まれては死に、造られては壊され、無常を競い合う』


「方丈記」に書かれているコトを煎じ詰めれば、こういうことになる。


火事だ地震だ飢饉だと多くの災害に遭遇した鴨長明が、晩年ひとり山の中で書き上げた書が「方丈記」である。


昨日まであったものが、あっけなく消えてしまう。


それがたとえ高貴な人でも立派な建物でも。


人の命はなんとはかないものだろうか。


街も人も永遠ではないのだと。



とりわけ災害が多い日本では、財産をはたいて住居を築いても一夜にして消え去ることだってある。


それは仕方がないことかもしれないが、そもそも立派な住居を築くこと自体愚かなことかも知れない。


そんな自分の体験なり世間に対する思いを、淡々と書き綴っている。


養老孟司先生が、

「あれだけ読んだら日本がわかる」

とした普遍的文献が、この「方丈記」である。



『この世のすべては変わり続ける』

ならば、生きていく上で、見栄や虚栄心に振り回されて何になろうか。

(と、振り回され続けた私が言うのもおこがましいが)