目の見えない人たちが、象を触る。


ある人は、象の鼻を。


ある人は、象の耳を。


ある人は、象の足を。


ある人は、象の尾を。


そして例えば、

足を触った人は「象は柱のようだ」 と、

尾を触った人は「象は縄のようだ」 と、

それぞれ言い張ることになる。


一部だけを触ったからといって全体がわかる筈もないが、それを全体がわかったつもりになってしまう。


「群盲、象を撫でる」

とはこのことを指す仏教説話で、

「一部だけを知って全体を誤って判断してしまう」

ことを簡潔に表現したことわざである。




言われてみれば、心当たりはいくらでもある。


いい噂が流れれば、それに対して好意的になる。


悪い噂が流れれば、それに対して敵対的になる。


いい部分に光が当たれば、その人はいい人になる。


悪い部分に光が当たれば、その人は悪い人になる。




元駐中国大使の垂秀夫氏は外務省時代に、中国を見る際は、

「群盲、象を撫でる」

を必ず念頭に置けと教わったそうだ。


ゾウどころか巨大な恐竜に変わった現在の中国は、

「強い中国」

「怖い中国」

「右肩上がりの中国」

が強調されがちだ。


しかし、中国は多面的な国家である。


「脆弱な中国」

「不安定な中国」

「被害者意識の強い中国」

も実際にはあるのだと垂氏は指摘する。



先月、中国の江南地方を旅したとき、上海にも立ち寄った。


上海の外灘(バンド)地区は、19〜20世紀の租界時代、各国の銀行や商社が立ち並んだ金融・ビジネスの中心地だった。


今でも当時の欧風様式の石造りの建物が連なっているが、どの建物の上にも中国国旗がなびいている。


それはいかにも、今は中国のものだと勝ち誇っているかのように見えた。


しかし反面、過去の屈辱を打ち消すことが今でもできない表れのようにも感じた。


外灘(バンド)の多くの建物の上には中国国旗が



ものごとは、いろいろな見方がある。


その見方が正しいか間違っているかは、全体をもっと知ることでハッキリしてくるだろう。


それまでは、知ったかぶるのは控えた方がいいのだが、そうでない人が何と多いことか。


もちろん、この私を含めて。