1970年代初頭、私が高校生だった頃。


私のクラスメイトのNくんが脳腫瘍で亡くなった。


Nくんとは帰る方向が同じだったので、その日も一緒に帰ろうと駅のホームで電車を待っていた。


そのときだった。


突然頭が痛いとNくんが言い出した。


え?


もしかして手術した脳腫瘍が悪化した?


そう咄嗟に思い、駅員室に駆け込み、救急車を呼んでK病院に運んでもらうよう駅員にお願いした。


K病院はNくんが脳腫瘍の手術をした病院である。


しばらくして駆けつけた救急車は、Nくんを乗せてK病院に向かった。


それが、Nくんを見た最後の姿だった。


数日後、NくんはK病院で息を引き取った。


ハードロックの全盛期、森山良子の『この広い野原いっぱい』が好きな、心優しい友だった。


ほのぼのノリかめ日記より



1980年代後半のこと。


小学校時代の同級生Jくんから、六本木に店を出したから来ないかという誘いがあった。


顔を出してみると、そこは当時流行りのプールバーだった。


プールバーとは、ビリヤードをしながらお酒が飲めるバーのことである。


Jくんとは昔から仲が良かったこともあり、ついつい深夜閉店まで飲んでしまうことが多かった。


ある日の朝、Jくんと親しくしている小学校の同級生Tくんから電話があった。


こんなに早くから何事かと首を傾げていると、Jくんが昨夜急死したとのこと。


店からの帰宅途中で、タクシーに轢かれて亡くなったというのだ。


え?


昨夜私は、Jくんの店で閉店まで一緒に飲んでいたではないか。


そして、じゃあまたなと言って笑顔で別れたではないか。


それがJくんとの最後の言葉になるなんて、誰が予想できたことか。


もう少しJくんと与太話でもしていれば、この偶然の悲劇は起きなかったかもしれない。


そんなことを思うと、今でも悔やみきれない。


Jくんは、愚痴ばかり言っている私と違って、人の悪口を決して言わない、心優しい友だった。



この二つの「別れ」の光景は、くっきりと目に焼き付いている。


それはあまりにも衝撃的だったからかもしれないが、人との別れがごく当たり前の年齢になっても、忘れることはできない。



人との別れ、それはいつ来るかわからない。


「またな」と言っても、「またな」が来ないかもしれない。

だからこれからは、これが最後だという気持ちで人に会おうと思う。


それが人生を後悔しないための、高齢者の心構えのような気がする。