年金暮らしをするまで生きてきて、この人は頭いいなぁと思った人間は数え切れない。


それが、ひとたび政治の世界に入ると、頭のよさはどこへやら、どうしてこうも愚かさに変貌してしまうのだろうか、と思う。



立候補して選挙に勝ち抜くまでは、あれほど有権者に頭を下げ、肩を抱き、手を差し伸べていたものが、当選するや否や手のひらを返すように人を見下すようになる。


そして、人のためではなく自分のために政治をする。


その変わり身の早さというか、その躊躇いのなさというか、どうしてそこまで図々しくなれるのだろうか?



確かに、権力を手にすると、その権力にあやかろうと多くの輩が手土産を持って近づいてくる、おそらく。


その手土産は富や権力の保証をちらつかせたものなので、その誘惑につい盲目になってしまうのだろう。


そして、いつしかディープステートや経団連や宗教団体といった国民の総意とは異なる一部の組織に頭が上がらなくなる。


すると、国民のためではない、どこを向いているのかわからない政治を行うことになる。



例えば、自民党総裁選を考えてみよう。


この人だったら日本の未来を託してもいいと思える人がいるだろうか?


体を張って国民を守ってくれそうな人がいるだろうか?


国民が豊かになるための地頭のよさを持っていそうな人がいるだろうか?


この国に生まれてきてよかったと思わせてくれそうな人がいるだろうか?



正直、立候補者の中で、私にはこの人だったらとピンとくる人がいない。


それは、誰一人としてこちらを向いているように感じられないからである。


もし、私たちのことを心から思うなら、その意志は通じるものである。


それが通じないのであれば、やはり向いている方向が違うのである。



利権?

裏金?

保身?

はたまた、

ハニートラップ?


それらが煩悩となって政治家としての志が捻じ曲げられてしまったのか?


いずれにしても、どんなに頭がよくても、どんなに高い志を持っていても、煩悩に打ち勝つことはできないのだろうか?


いや、そんな筈はないと信じたい。


ついては、煩悩を断ち切ることのできる人だけが選挙で選ばれる仕組みを考えていくなどして、次々に連鎖する腐敗を食い止めなければ、いずれ日本そのものが腐ってしまうことになる。


ところで小林製薬さん、

「煩悩を断ち切れる薬」

とやらを、世直しのために開発できないものでしょうかねぇ。


政治家になった暁には、この薬を服用することを努力義務、いや義務にしてはいかがだろうか。


特に武見厚労大臣には、まずは率先して治験者になってもらいたいものである。

 


浄土真宗親鸞会より


ぼんのう 【煩悩】


仏教の教義の一つで、身心を乱し悩ませ智慧を妨げる心の働き(汚れ)を言う。