中国のドラマを見ていると、最終的にどうにか正義が勝つものの、必ずと言っていいほど悪の権化が現れる。


コイツが憎たらしいほど強い。


狡猾でズル賢く、大抵の善人はその術中にハマって悲惨な結末を迎えることになるのだが、主人公はどうにか危機を回避する。


ま、主人公が死んでしまってはドラマにならないからね。


「瓔珞(エイラク)〜紫禁城に燃ゆる逆襲の王妃」より



それでも、主人公を追い詰めて、これでもかと甚振(いたぶ)る残忍さの度合いが大きければ大きいほどドラマにハマっていくから、人間って(私だけ?)サディスティックな生き物だとつくづく思う。


もちろん心の中では主人公を応援している筈なのだけど…。


いずれにしても、最後には悪を滅ぼし正義が勝つのだから、まぁいいとするか。



さて、日本のドラマはどうかと言えば、総じて悪の権化というほどの悪人は現れないように思う。


むしろ自分との戦いで、数々の逆境を乗り越えて、めでたしめでたしとなるドラマが多い。


その中で特筆すべきは2013年に放送された「半沢直樹」で、最高視聴率は今では考えられない42.2%を記録した。


これは、2000年以降に放送された民放テレビ局の連続ドラマにおいて最高の視聴率である。


実はこのドラマ、悪の権化とは言わないものの次々に難敵が現れ、最後には憎きラスボスを倒し正義が勝つという、まるで中国ドラマのような展開が高揚感を煽った。



日本人はとかく声を上げずに我慢して逆境を乗り越えようとするが、半沢直樹のように強敵やラスボスに立ち向かう気概はもともと持っている。


農民一揆や米騒動、そして現代では学生運動のように、情熱と正義感に溢れていたときもかつてはあった…。


だから、半沢直樹があれほど共感され最高視聴率を取ることができても不思議ではない。


やはり、ドラマは敵がいてなんぼ、敵がいないドラマなんて夢中になれないと、私はそう思っている。



だが、現実となると訳が違う。


悪の権化やラスボスなんていないに越したことはないのだが、それが厳然と存在しているから悩ましい。


彼らは国を売り、国民の自由や権利や命まで奪い始めた。


そんな筈はないと何度も思い、何かの間違いだろうと肩をもってはみるものの、魂の欠片も見当たらない。



ならば、私たちはどうすべきか?


耐え忍ぶか、それとも立ち向かうのか?


私たちが望む正義とはそもそも何なのか?


その正義が負けるとどうなってしまうのか?


何も行動を起こさなくても、心穏やかな未来は来るだろうか?



正義が人の道にかなった正しいことだとするならば、人である限りその道は踏み外すべきではない。


もし踏み外せば、それこそ正義は消え去ることになる。


正義が消え去れば邪気が蔓延し、混迷する日々が待ち受けることになるだろう。


そんなことは思ってもみなかったが、いまの日本は人の道を踏み外した人たちがリーダーに君臨している。


このまま私たちが何もしなければ、日本から正義は次々と失われていくだろう。


そうならないためには、日本人一人一人の内にある情熱と正義感を呼び起こし、立ち向かい、正義を奪い返さなければならない。


現実は、正義が担保されているドラマではないのだから。