禁煙してから3年が経過した。
別に嫌いになって別れた訳ではなく、肺気腫という強敵が突如現れたので、仕方なく別れることになったのである。
だから、未練はいまだにある。
もし、肺気腫がウソのように快方に向かったら、またヨリを戻すに違いないとは思うものの、残念なことに今の医学では期待薄と言わざるを得ない。
喫煙者が禁煙をすると、とかく手のひらを返したように、
「お前、まだ吸ってるのか?」
「体に悪いから、早く止めろ!」
などと善人ぶる人がいるが、私はこういう人を信用しない。
何故なら、あれほど身近な存在だったタバコへの敬意が微塵にも感じられないからだ。
ひと仕事終えて、疲れを癒す一本もあっただろう。
上手くいかないイライラを、宥めてくれた一本もあっただろう。
気まずい間(ま)を埋めるために、おもむろに火を付けた一本もあっただろう。
相手との距離を縮めるために、どうぞと勧めた一本もあっただろう。
そんな頼りにしていた相棒を、世の中が悪者扱いするようになったといって、同調することが正義だとでも言わんばかりに切り捨てる人を、私は信用しない。
私は禁煙外来に通ってタバコを止めた。
止めることは止めたが、担当医とは反りが合わず、口論が絶えなかった。
「身の回りにあるタバコやライターは全部捨ててください!」
「え?なぜ私が大切にしているタバコやライターを捨てなければならないんです?」
「目につくところにあったら、吸いたくなるでしょう?」
「目につくところにあっても、吸いたくならなくなるための禁煙外来ですよね」
そんな会話を繰り返していた。
肺気腫などにならなければ、私は死ぬまで禁煙はしまいと決めていた。
そして、意志薄弱な私が禁煙なんてできる筈がないとも思っていた。
それが、数週間でキッパリ禁煙できたのは、唾を吐き捨てるようにタバコを諸悪の根源と決めつける医者に、大事なものと別れる覚悟というものを見せつけたかったからかもしれない。
葉巻を燻らすプロゴルファーのミゲル・アンヘル・ヒメネス選手
私は、美味しそうにタバコを吸う人に、
「早く止めたら?」
とは口が裂けても言わない。
肺がんとの関係も明らかになっていないし、そもそも人が好むものを止めろという権利など、どこにもないのだ。
それでも、どうしても止めたいと言うならば、医者は人が好んでいたものと断腸の思いで去ろうとしている気持ちを尊重し、
「タバコやライターを捨てなさい」
といった配慮の欠片もないセリフは、決して言うべきではないのだ。