ハンドルを少し回しただけでは車のタイヤは動かないようになっている。


これがハンドルの遊びというもので、もし遊びがないと、ハンドルを少し切っただけでタイヤが反応してしまい、返って運転がし難いという。



一方、高速で瞬時にハンドルを操作しなければならないF1になると、ハンドルの遊びは必要ないらしい。


遊びがなければ神経を集中し続けなければならず、一瞬も気が抜けない緊張状態がゴールまで続くことになる。


やはり、プロが命を懸ける競技ともなると、遊びはご法度と言う訳か。


2019年仕様メルセデスAMG F1ステアリングホイール  webモーターマガジンより



さて、話は転じて昨年の暮れから世間を賑わしている自民党の「裏金問題」だが、スッキリしないまま終息に向かっている様子である。


それは、東京地検特捜部が立件ラインを「3,000万円」と見定めたことで、それに満たない多くの議員がお咎めなしになったからとも言える。


ところで、この「3,000万円」というラインは一体どこから来たのだろうか?


もし、私たちが「3,000万円」を脱税しようものなら一発でレッドカードになるところ、イエローカードすら出されないのだから、こんな道理はない。


その名の通り日本が民主国家を標榜するなら、この手のハンドルの遊びすなわち忖度は国民に対して許容されるべきで、責任ある者たちは罰せられるも遊びがあってはならないと私は思う。



そして、「裏金問題」に限らず、近頃の政府は遊びが過ぎやしないだろうか?


握るハンドルはゆるゆるで、肝心のタイヤは国民の思うように動いていない。


仮にも、

「原点に立ち返って全国津々浦々の現場にお邪魔して声をうかがう」

と、我が国のリーダーは国民に宣言しているのである。


であるならば、「全国津々浦々」で「うかがう」ことから最適な政策を導き出さなければならず、ハンドルに遊びなどつくっている余裕はないのである。


それこそF1のコックピットに座って、時速200kmを超えるハンドルを握るくらいの覚悟を持って欲しいものだが、すでに国民が見放してしまった感は否めない。


もうこれ以上ハンドルを握ってくれるなと言わんばかりに。


まぁ、支持率が落ちても気にも留めないほど、自分に対してハンドルの遊びすなわち許容範囲が著しく広い人だから、何を望んでも無駄ということか。


ああ、やるせない。