「男性と協力して対等に力を発揮できる女性の育成」

こう標榜する津田塾大学は、津田梅子が設立した女子英学塾を前身とする女子大学である。


津田塾大学HPより



その津田塾大学が、2025年度から共学になるかもしれないとフリージャーナリストの我那覇真子さんは言う。


それは、トランスジェンダーの受験資格を認めると大学が発表したからである。


つまり、生物学的には男性でも、自分は女性だと自認すれば、胸を張って受験できるということである。


これも、昨年LGBT理解促進法が施行されたからであろうが、こんな時代になるとは津田梅子さんは思ってもみなかったに違いない。


2025年度以降、生物学的に見れば津田塾は男女が混ざり合ったキャンパスになることが予想される。


それでも、津田塾は女子大と呼ぶことができるのだろうか?



昔、「自由と規律」という本を読んだことがある。


確か、英国のパブリックスクールの教育方針に関する内容で、自由は規律があって初めて成立するといったことが書かれていたと記憶している。


また、福沢諭吉は「自由は不自由の中にある」と語った。


自由は我が儘に振る舞うことではなく、他人の妨げにならないよう自己を律した不自由の中にあると説いた。



人間の性を区分するなら、いままで通り生物学的な男性と生物学的な女性でいいのではないかと私は思う。


それを、LGBT理解促進法が施行されたからといって、自認した性を殊更に世間が尊重すればいいというものではない。


性の自認は自由だが、他人の妨げになるのであれば、生物学的とは異なる性の自認はすべきではないと考える。


さもなければ、女子も子どもも、うかうか外の女子トイレにも行けなくなるだろうし、温泉や銭湯にも入りにくくなる。


そして、(生物学的な)男子がいないことを理由に津田塾を選んだ女子の権利は、一体どこへ行ってしまうのか?


LGBT理解促進法が施行されたからといって、トランスジェンダーの受験資格をすぐに認める必要はどこにもない。


せめていまの在校生が卒業するまでは、トランスジェンダーの受験資格は延期すべきではないのか?


そもそもこの問題は慌てて対処すべきものではなく、じっくり在校生や卒業生、教師、理事たちとも議論を交わし、それぞれが納得してから決めても遅くないのではなかろうか?

 


✳︎参考文献

「LGBTの語られざるリアル」

ジェイソン・モーガン 我那覇真子著

(ビジネス社)