東京都中央区月島の『岸田屋』は、明治33(1900)年創業の大衆居酒屋である。


現役時代には、会社からそれほど近いとは言えなかったが、足を延ばしてまでもよく通ったものだ。


仕事が終わって一杯やりたくなったとき、煮込み、ぬた、肉豆腐のどれか一つでも頭に浮かんだら最後、駆けつけたくなるのが『岸田屋』であった。


引退してからはさすがに足が遠のいていたが、週末に神戸から酒好きの同期Mくんがやって来るというので、久しぶりに行ってみることにした。



ハーレー麺の日記さんのAmebaブログより



月島から数分のところに、佃煮の発祥地佃島(現中央区佃周辺)がある。


Mくんの東京土産にどうかと思い、『天安本店』で佃煮の詰め合わせを買ってから岸田屋に向かった。


午後4時の開店にはまだ20分ほど時間があったが、すでに2人の男女が並んでいた。


しばらくすると、新幹線から乗り継いできたMくんが到着。


 再会を喜び、しばし近況報告などをしていたが、まだ当分店が開く気配はない。



そこで、先ほど行った佃煮発祥の地を話題にすると、そこは佃煮の発祥地ではないよと、思ってもいなかったことをMくんは言い出した。


そこで問い詰めてみると…


「安土桃山時代(1590年)に徳川家康が江戸に入るとき、大阪(摂津国西成郡佃村)から漁師を連れて来た」


「彼らが漁に出るとき持って行った保存食が佃煮の原形らしく、それを江戸に持ち込んだのだから発祥は大阪になるんだよ」

と言うのだ。


大阪の佃村の漁師が江戸に来たから、その地を佃島と命名した訳か。


そして、彼らの保存食がそもそもの佃煮だったと言うならば、発祥は大阪になる。


それでも、商品としての佃煮が江戸の地で完成したのなら、発祥の地はそのまま江戸(東京)と言えなくもないが、雲行きが怪しくなってきたことは確かである。


Mくんは、次にこんなことを言い出した。


「1192(いいくに)つくろうと覚えた鎌倉幕府の成立は、1185(いいはこ)つくろうに変わったって知ってる?」


新しい事実がわかってくると、歴史の解釈も変わってくるのだろう。


だからどうしたと言いたいところだが、思い込みは時として覆されることがあるのだということは、頭の片隅に入れておいた方がいいかもしれない。


そして、いつもと違った視点で見てみたり、本当かどうか疑ってみたり、もっと深く探ってみると、もしかすると今までの思い込みとは違った新しい発見があるかもしれない。


などと考えつつ…


後ろを振り返ると、そこには長い行列ができていた。


そろそろ、岸田屋の開店である。