古典に学ぶ:敵国の存在という意味 | mc浜の適当レポート -この世はネタに満ちている-

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日本の周りは敵だらけだ。

例えば、
・南北朝鮮
・中国
・ロシア
などの国境を接している国とは昔から領土問題が絶えない。

「竹島」然り、「尖閣諸島」然り、「北方領土」もまた然り。。。


確かに経済面では、これらの国とパートナーとしての協業や連携は実際に行われてはいる。
また、日本からみたら物資の調達先や海外市場としての意味もあるだろう。

しかしながら、日本人としてはこれらの国との過去のいさかいについても、きちんと認識しておくことも必要に思う。

ということで、今回は敵国の存在の意味について考えてみたい。


◇日本は敵国に囲まれている?

冒頭で「日本の周りは敵だらけ」と述べたが、これは俺個人の認識である。
人によっては異なる認識を持っているかも知れない。

では、何故俺が「日本の周りは敵だらけ」だと考えるのか?

本件を考えるにあたっては、まずは日本の周囲の国との歴史上の関係を正しく認識する必要がある。

以下、順を追って検証してみたい。


①南北朝鮮の場合

まずは、日本と地理的に最も身近な南北朝鮮であるが、日本との過去の歴史においては、意外と直接対決が少ない。

大抵の場合、南北朝鮮の宗主国である中国の歴代王朝との連合軍としての対決が多いようだ。


例えば、白村江の戦いでは唐・新羅と大和朝廷軍が激突した。
この時代、朝鮮半島は新羅の他に高句麗や百済といったいくつかの国に別れていた。
日本は朝貢を受け、人質を取っていた百済を支援する形で朝鮮半島の国家闘争に参戦したわけだ。
この戦いでは残念ながら大和朝廷・百済の連合軍は敗退し、百済は滅亡に至った。


また、元寇(文永の役、弘安の役)では元・高麗からの猛攻を受けたが、鎌倉幕府の後家人たちの奮闘により、外敵の侵略を防ぐことができた。
一般的には神風が過大評価されているようだが、これは勝因のひとつでしかない。


また忘れてはいけないのが、豊臣秀吉による朝鮮出兵だ。

一般には文禄・慶長の役呼ばれているが、豊臣秀吉が率いる日本の武士団と明・李氏朝鮮との戦いだ。
この戦いは、秀吉による中華帝国の支配に対する挑戦という大きな野望を伴ったものだったが、志半ばにして秀吉の絶命により頓挫した。


このように、朝鮮は親分にくっついて行動する傾向があるようだ。
要はジャイアンにべったりくっつくスネ夫みたいなものか?(苦笑)

しかしながら、一度だけ国としての直接対決もある。


1418年の応永の外寇では、高麗による単独での日本への侵略行為が行われた。


一応、当時朝鮮半島一体で猛威を奮っていた和寇の取り締まりが名目だったらしいが、対馬・壱岐などの島が標的にされた。

スネ夫が単独でのび太に嫌がらせに来たようなものだろうか。

この時は対馬島主(宗貞盛)以下、島の自衛団の奮闘により、侵略行為を退けている。


②中国の場合

さて、お次は朝鮮の親分格の中国だ。

先ほどの南北朝鮮の節で述べた通り、日本から見た対半島の歴史においては、中国・朝鮮の連合軍との対決が多いようだ。


双方単独での一騎討ちと言えば、まずはとの直接対決である日清戦争が挙げられるだろう。

当時の清は欧米列強により国土を蚕食されていたが、依然として「眠れる獅子」と呼ばれ、その潜在力には一目置かれていた。

従って、当初は清に有利と見られていたが、大方の予想を裏切り新興国であった日本の完勝となった。

要はのび太ジャイアンにタイマン勝負で勝ったようなものだ。
さぞ、当時の世界的なビッグニュースになったことだろう。

清はこの敗戦により、
「なんだ、意外と大したことねぇな」
と世界中から舐められることになる。
その結果、日本や欧米列強からの更なる浸食を受け、国力は衰退の一途を辿ることになり、やがて帝国は崩壊する。


また、1937年からの日中戦争も当然ながら忘れてはならない。

当初は北支事変と呼ばれ「戦争」という扱いではなかったが、次第に戦局が拡大し、中国(蒋介石)から日本に対する宣戦布告をもって国同士の戦争に至った。

最終的には、1941年より始まった大東亜戦争に主軸が移され、1945年の敗戦に伴って日本軍は中国から撤退した。


③ロシアの場合

さて、最後はロシアだ。
ある意味、この国が一番手強いのではないだろうか?

中国をヤクザの親分と例えるならば、ロシアはまるで強盗のようなものだ。

古来より中国の歴代王朝は、その国力と権威を周辺国に知らしめるため朝貢貿易を行ってきた。

これは、周辺国に対して臣下の礼をとらせ、多数の貢物を献上させるものだが、中国側からも必ずお返しをしていた。

しかも、このお返しは半端なものではなかった。貢物よりも大量かつ貴重なものが与えられていたのだ。
つまり、周辺国は貢物を献上すればするほど儲かる仕組みになっていたわけだ。

当の中国歴代王朝からすれば、
「俺んとこは、こんなに裕福なんだぜぇ。
   どうだ、スゲーだろ?」
という具合に権勢を見せびらかしていた。
これによって、国としての格の違いを示したいわけだ。

なんと気前の良い親分だろうか(笑)


こんな気前の良い親分に対して、ロシアはただひたすら強奪を繰り返すだけだ。

東へ東へと勢力を伸ばし続けたが、お返しなんて考えは全くない。
ただ奪うだけ、殺戮するだけだ。
これが強盗たる由縁だ。

こんな国がすぐ近くまで来たら、誰だって不安な気持ちになるだろう。
それが、まさに当時明治政府だった。

ロシアがシベリア鉄道の建設を進め、日本海まで勢力を拡大した後、次は当然南下することが予想される。
もちろん、ターゲットは朝鮮半島だ。

「こんな強盗みたいな奴らが隣まで来たら、マヂでヤベーわ。」

当時の明治政府では極度な緊張が走ったに違いない。
そして、最後は腹を決めた。

「自分たちの身は自分たちで守るしかない!」

して行われたのが日露戦争だった。
謂わば、自衛戦争ということだ。

結果はかろうじて日本の辛勝だ (;^_^A

この結果は、もの凄いセンセーショナルな出来事だった。
当時「世界最強の陸軍」と恐れられたロシアの軍隊を極東の小さな島国が撃ち破るなどとは、世界中のどの国も予想していなかったからだ。

また、この戦争は世界中に対して強烈なメーセージを送ることになった。
「有色人種でも白人に勝てる!」
まさに、歴史的な勝利と言えよう。


また、日本が決して忘れてはいけないのが1945年の敗戦直前ソ連からの宣戦布告だ。

日本に原爆が落とされ壊滅状態になったとみるやいなや、一方的に日ソ中立条約を破棄して略奪行為に走る卑劣な国を忘れてはならない。

この当時、ソ連軍は北海道全域を支配下に置く計画だったが、千島列島(占守島)に配備されていた樋口季一郎中将率いる第5方面軍の奮闘により、最悪の事態はまねがれた。

しかしながら、北方領土はソ連からロシアに継承され、今も占領された状態のままだ。


◇「敵国の存在」という意味

このように、過去の歴史において日本は隣国との幾度の戦争を繰り返して来た。

世界を見回して見ると、例えばフランスとドイツのように、かつての不倶戴天の敵の間柄から、大人の関係へと昇華しているように見える国もある。

しかしながら、日本の場合はどうか?

個人的には、残念ながら隣国との大人の関係にはほど遠いと思う。

何故なら、日本の隣国には話せば分かる国は皆無だからだ。
日本人の大半は「話せば分かる」と思い込んでいるが、こんなものは日本国内でしか通用しない。

ロシア(旧ソ連)が日ソ中立条約一方的に破棄したが、このようなことは欧米の歴史を手繰っていけば、たいして珍しくもない。
日本人は「所詮は同じ人間なんだから、話せば分かるはずだ。」というような情緒的な思考回路を改め、こういった歴史的事実も学ぶべきであろう。


しかし、敵国に囲まれた状態も見方によっては悪いことばかりではない。

孟子の一節にこういう言葉がある。

敵国外患無き者は国恒に亡ぶ

つまり、国家の存続のためには、ある程度の緊張状態が必要ということだ。

とすると、近年、中国や南朝鮮からの過剰とも思える日本バッシング考えようによっては日本人に現状の再考を促すヒントになるかも知れない。


のび太もドラえもんに頼ることなく、そろそろ自分の頭で考えて、自らを守る術を身に付ける必要がある。