やがて、時は2000年4月。

私は晴れて高校生になり、自分の新たな野球人生を歩むため、高校野球の門を叩いた。

それは、これから私が最高の野球人生を送る第一歩でもあった


だが、当時はそんな事自分は知る由もなかった。





当然の事ながら、一年の夏にベンチに入るのはかなりの至難の業だった



だが、僅かな可能性を信じて私は必死に自分を鍛えあげた。


まずは、シニアを引退してなまった身体の脂肪を全て一度落とす事から始めていった。

高校一年時に78キロあった体重は一年で、13キロの減量に成功した。


一年の夏にベンチに入ることは出来なかったが、その年の秋には見事、ベンチに入ることが出来た。

そして、私の公式戦デビューは秋の大会都立練馬工業戦だった。

その試合、私は先発投手として出場。

そして、公式戦初登板初完投初完封の結果を残すことが出来た。




ここで、私は野球人生の再出発を果たしたとともに、覚醒への第一歩を踏み出した。
そんな私にスポーツ推薦の話が舞い込んできたのは、中学三年の春の事だった。
名前があがったのは、日大鶴ヶ丘、駒場学園、東京学園、東京高校の4校だった。


その中でも、私が選んだのは東京高校だった。




決め手は、同じチームに所属してた先輩の影響だった。


それが、もしなければ一般入試で違うこへ行ってただろう

そして、違う野球人生を歩んでただろう。


そして、今現在私が関わってる仲間には出会ってなかっただろう。





だから、先輩には感謝してる。



ここから、野球人生を再スタートさせよう。
そう、心に誓った。
新たな思いを胸に私は、リトルリーグでの野球生活のスタートをきった。
だが、そこは私にとって次元の違う世界だった。
各地区トップクラスの強者達がひしめく場所だったのだ。

それまで、自分には実力があると信じていた私にとってそれを覆される程の場所だった。
でも、ここで這い上がらなければトップクラスの仲間には入れないという事は分かっていた。

しかし、壁は厚かった。







出場機会にも恵まれず、仲間からは罵声を浴びせられ、私のプライドはズタズタに引き裂かれていった。




そんな私を救ってくれたのは、他でもない両親や姉だった。



あんたは、あんたらしく野球をしなさい。


この言葉に私の眠っていた闘志に火がついた。


そして、ふと肩の荷がおりた瞬間だった。


俺は、野球が好きだし、試合に出れるようにひたすら練習した。





すると、出場機会も増えてきた。
最終的には、高校のスポーツ推薦の話が舞い込んできた。