「震災直後、何が起きていたのか・・」② | Love & Peace 2011

Love & Peace 2011

3.11
あの日から変わったこと
変わらないこと
先送りできる問題なんてひとつもない!

<前記事からの続きです>


「東日本大震災」では岩手、宮城、福島の3県は
甚大な被害を受けてしまいました。

その他にも被害を受けてしまった場所があります。
”被災7県”という表現に加えられる青森、茨城、千葉、栃木。
(捉え方は違うことがあり、栃木の代わりに北海道が入ることもある。)

横浜など神奈川県でも街中でビルの窓ガラスの落下などの被害がありました。

さらに、3月12日に起きた「長野県北部地震」(震度6強を記録)。
長野県栄村では、
豪雪という障害が復興の妨げとなったことは、
報道で取り上げられることも少なく、
あまり知られていないようです。

千葉県の浦安など、液状化現象で自宅が傾いてしまった人たちは、
健康面にも経済的にも大きな負担を強いられることになってしまいました。


津波の被害を受けた”青森県八戸市”で、
当時、市内の金融機関に勤めていた方の話を伺いました。


~八戸市では~

*この方のお住まいは津波の被害を直接受けることはありませんでした。

電気と水は数日間途絶えてしまいました。

屋上の給水タンクに水が残っている間は水が出たそうですが、
屋上に水を送るポンプが停電で動かないために、
やがて水が使えなくなってしまいました。
最初に水を汲み置きしておくべきだったと後悔されていました。

コンビニでお菓子を買って空腹を満たし、
電池も売り切れ、唯一売れ残っていた短いロウソクや、
ジッポーライターを照明替わりに使っていました。

社宅のマンションの仲間と交代で車の順番を決め、
ガソリンを節約し、車載のテレビで情報を収集されました。


地震のあった”金曜日の午後2時46分”。

金融機関にとってはその週の業務を締める間際でした。
電卓による集計や、
土日の休日も事態の確認作業で出社。
もし地震による停電が週初めのお昼頃だったとしたら、
さらなる困難を招き、想像を絶すると言われました。

災害時のお金の引き出し等には、
預金通帳や身分証明ができるものが必要で、
日頃から心構えが必要です。

津波発生時、会社の車を高台へ移動している間に、
自分の新車の自家用車を流されてしまった方もいるそうです。


~東京では・・~

3.11。
あの日の夜、私は東京駅で親戚が足止めを食っているらしいと聞き、
車で迎えに出ると、道路は大渋滞。
歩道は帰宅難民の列。
(TVで予測していたシュミレーションそのもの。
街道沿いの一人暮らしの方は怖かったそうです。)
50メートル走るのに1時間かかり、
ガス欠寸前。
コンビニは何も、食料も水も何もかも売り切れ状態。

わずかなガソリンを手に入れ、
往復2時間の道のりを10時間かけて帰宅したのは、
午前4時半。
無事に出会えた親戚はその後1週間、
交通手段の復旧を待ち、我が家で帰宅難民。

その後、しばらくはガソリンを買うために西へ東へ走り回る日々。

普段まったく車を使わない人もスタンドにならび、
自分のように車がないと仕事にならない人間は、
あと数台で給油というところで「売り切れです」と断られる毎日。




福島県の”東京電力福島第一原発事故”。
避難する車で渋滞が起きていた。
そして、ガソリンがなくなり滞在した避難所で、
高線量の放射線を浴びてしまった方も少なくない。
ガソリンだけでなく情報も無かったためだ!


このことは”大飯原発”近辺の避難ルートの問題点につながる。
おおい町の人は原発事故発生時、あくまでも県内に避難ルートを取り、
”原発銀座”と呼ばれる海沿いを避難していく。

これが暫定的に確保された安全だそうだ。