うちは山間の村だったが、母方の爺さん婆さんの住んでいた団地は港町だったためパチンコ屋がいっぱいあった。ギャンブル狂の親族だったため、パチンコは幼稚園に入る前から連れられて行っていた。
手打ちのひと玉づつ入れるやつから皿になり、立ち打ちから椅子へと。なつかしい。
私が風邪をひくとおふくろが婆さんのところへ預けて、医者へ連れていってもらっていたのだが、この医者の帰りに婆さんが私を連れてパチンコ屋に寄っていたのだ。
秋田にいたときには、テレビゲームに押されて銀紙が貼ってあって玉の行方がわからないブラインドパチンコとか縦の長さが2倍もあるジャイアントパチンコ、テレビ付きパチンコとかあったものだ。
年々小さな個人営業のパチンコ屋は閉店していって、今では大手のチェーン店しか生き残っていない。