季節は立春です。

そろそろここから春ですね。

またいろんな場所で、人が来たり去ったり編成が変わったり、

春らしい迷いと喜び悲しみが飛び交うこの頃です。

 

最近、星のローカル学習中に、金融系の天体について調べていたので、

富豪の人生をwikiであちこち読んでいました。

そこで改めて感じたことの一つが、超富豪レベルや、一代で国になくてはならないくらい大きな事業規模で活動を起こす方は、大抵はその人自身の親が社会活動幅が大きいし、本人も自然とその世界観とスケールで生き抜くということ。

見ている世間が広いのです。元から。

 

ですよね!の一言に尽きるのですが、そこで昭和のあるあるシーンを思い出す。


俺は親父と違って○○をやるんだ!

○○家は継ぐ気はない!やる前から決めつけられる筋合いはない!

俺は家を出ていく!みたいなのね。

 

あれ、なんだったのでしょうね。今にして思うと。

継ぐテーマがある家ならわかるけれど。

資産も事業も何もない家からも、そんな話って聞いたことなかったですか?

何のために、反対してたんだろうな…?

 

正直、老後のことへの分離不安が理由に大きいのだろうけれど…

親が子どもを縛る言動をしないお家の方が、

子どもは自由に羽ばたくことに罪悪感を感じないので、

活動疎外されないぶん、人生スケールアップしやすい傾向あるとは思っています。

幸か不幸か、親の顔色を伺ってずっと家に張り付いている大人しい子より、

多少無茶でも社会から自分が獲得する方法をあの手この手で学んだ子の方が、

数十年後に親に還元できるものがある確率も高い傾向ある気がします。

そこに子どもの「してもらって当たり前」という、テイカーではないお返し発想があることが大前提ですが。

 

ただ、その間、家族の間にあるのは、

完全に相手は自分をどうでもいいとは感じていないという

気持ち一本の信頼と絆しかなくなる。

寂しいという感情を持つことは、異常ではないしいけないことでもない。

この社会の中で、そこへの対策が現実的選択肢としてまだ届いていないのだから。

年齢が上がっても人の温もりを求めることは人間なら当然。

 

けど、時代は変わってきました。

「離れる」を選んだとしても、後々早期に親が倒れないうちに、

頻繁に戻ってこられる確率がだいぶ増えました。

継ぐ継がないの話を親子でわざわざしなくてもいいくらい、

「離れても一緒にいる家族」ができる可能性を社会に生み出しました。

 

一番大切なのは、たぶん実距離の問題よりも、また会いたいと願う心の方。

親父と一緒に酒飲みたい、でもいい、

お母さんに料理を教わりたい、でもいい。

たわいもない幸せほど大切なものってないです。

漫画の話でも、映画の話でも、本の話でも、

どこにいても家族と一緒に世の中を見ていこう。

 

血のつながる家族、つながらない家族、親戚、みんなに幸あれ。

星で見る時、仲間も家族も同じ天体でみるんですよ✨

天は、血のつながりあってもなくても家族でも同僚でもみな扱いが同じ。

 

みな、あなたの仲間です。

心通じ合いますよう✨