いろーんなこと思い出して。
私がかつて自分の才覚や才能だと思われていたものは、それをしていられる環境が作り出したものだったんだなぁって。
私の素養もあったかもしれないけど、それを育む生活環境がつくったもの。
やめて30年にもなるのだから、それらしきものは原型を留めなくなるはず。
似たような子見ると少し心配になったりもする。特定方向にリミッター外したような子もいて。
また私何もできないです風にしてても、仕事も感性も私世代の平均値より、バランス保って整い世間評価される若い方は沢山いる。
その中で一部の突出したものが一見埋もれるのは傷ましい。
私とタイプ類似の子にはフォーマット通りの社会人を求めず、身体発達年齢に応じてタイミング重視しどこにフィールドを作るかを選ぶ方が、より伸びるらしいことも多くの方を見つめててわかった。
一番歯痒く思うのは、私が育まれた価値を知りながら、今はそれらを人に与えられる程の器ではない点。
お話や絵にキャッキャやってる若い子見ると、私の時代みたいに外勤務やる以外の選択肢がなく、時代に消費されて欲しくないなーってのはある。