--- バレンボイム/ポリーニ/アラウ/リヒテル/ブレンデル 『ピアノを語る』 p. 55-56. シンフォニア (1984)
(ちょっと引用が長くなってしまいましたが、メンタル的に勉強になりそうなところが他にもあって、ホントはもっと引用したいんですけれど。。。)
ここでアラウが音楽のコマーシャリズム(商業主義)の弊害として述べている部分はすべて、スポーツの現場では常識と言われているものです。
例えば、「並みいる競争相手に抗して自己主張しなければならない」「自分の才能を証明し、他人より優れた演奏をするためには気違いじみた練習をしなければなりません」といったことは、スポーツをリクリエーショナルに楽しむ人々以外のシリアスにその競技に打ち込んでいるアスリート達にとっては当たり前のことです。
スポーツでは、レギュラー争いや勝利をモノにするには、他人という敵に勝たなければならないからです。
メンタルトレーニングという理論と実践は、そのスポーツ界で発達してきましたから、そっくりそのまま、本質的に敵は存在しない音楽に当てはめられるものではないというのが今の私のスタンスです。
アラウも「そうなるともう本来の芸術的なものからはずれてしまいます」と言っていますね。
また、音楽家のための、ひいては芸術家のための?メンタルスキルの発展という視点で考えると、このアラウの言葉のなかにとてつもなく大きなヒントがありました。
それは、「"自分への"集中力」という記述です。集中力は集中力でも、その「方向性」を問題にしているのです。
他人との競争という考えが頭のなかに入ってしまうと、「"自分への"集中力」がそがれて、つまり、メンタルトレーニングの集中理論でいうところの、意識や注意の「内向き」ディレクションが弱くなる、または崩壊してしまうというのです。
アラウは、音楽をするにはこの意識と注意の「内向き」ディレクションが大切だと言っているのだと思います。
そのディレクションがしなやかで強い音楽家が「自分の世界像、世界観、精神的な基礎は自分で作り、全人格的なものをあらゆる面から展開させていく」ことができるのだと思いますし(自分の価値観は「自分で」作る)、音楽家のためのメンタルトレーニングのゴールはそういうものなんだなと思いを新たにしました。
問題は、アラウの言う時間不足やコマーシャリズムだけではなく、音楽家の心にもあるような気がしますが、どうでしょう。。。
アラウの言う「"自分への"集中力」というのは、競争社会の意味合いが確かにある現代のクラシック音楽界で (言ってみれば、周りの環境が「自分外のことに集中しなさいよ、他人に集中してよ」とウルサイようなもの)、自分にしかない豊かな音楽を育みながら生きるための指針になるだけではなく、自分が本当に欲しい音を「内なる耳」で聴くことを促し、本番での演奏でも役に立つ大切なスキルになるものだと私は思います。
以前私は、演奏に必要な集中とは、「内向き」と「外向き」の二つの方向性を同時に、音を出す直前も最中も直後も感じ続けることと述べましたが、このアラウの「"自分への"集中力」という記述はそれを支えてくれるのではないかと思っていますが、どうでしょうか。。。
ピアノを語る バレンボイム・ポリーニ・アラウ・リヒテル・ブレンデル/著者不明

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