--- フルトヴェングラー 『音と言葉』 p. 27. 新潮文庫 (1981)
現代の音楽に対する「哲学的考察」として名高い『音と言葉』からの引用です。
正直言って、初めてこの部分を読んだ時、哲学的知識に疎い私は何がなんだか分かりませんでしたので、Wikipediaで調べてみました (普遍論争)。。。
フルトヴェングラーは、普遍概念があるかどうかという思想の対決は、現代の科学と音楽の対決と同じであると言っています。
唯名論者が科学者で、 現実論者(実在論者) が音楽家(芸術家) 。
科学者は普遍概念を認めなく、音楽家は普遍概念を認めると。
例えば、今、シューマンの歌曲を聴いて感動したことは、作曲された1840年位に聴いていた当時の人々の感動とそれほど変わらないだろうと、つまりその感動は普遍的なのではないかと音楽家ならそう思いますよね。
音楽を聴いて溢れ出た涙について、1840年に生きていた涙の質と現代の涙の質は、時代は相当変わっても人間の本質的なところでは同じであろうと音楽家なら思いますし、そう感じることができるから音楽に打ち込めるとも言えます。
感動の普遍性という自覚が、音楽する動機そのものなのかもしれません。
つまり、音楽家は普遍概念があるというのが前提で、逆に、そのような普遍性が無いなら芸術ではなくなってしまい、芸術は死を迎えてしまうと。
フルトヴェングラーによると、科学の台頭が凄まじく(彼曰く「科学は支配力が強い」)、違う思想である音楽がそれに従っている状況があることは憂きべきであるということです。
まさしく、今の商業主義や管理主義という科学の道上にいるコンペティション主導型クラシック音楽の現状を捉えていると思います。
音楽家としては、芸術と科学の本質的な違いを理解し、科学は人の信仰(音楽する動機?) にまで影響するほど「科学の支配力」は想像以上に強いということを知っておくべきかもしれません。(科学と言うと人は信用しやすいですよね?)
また、メンタルコーチの私にとっては、スポーツ心理学が基盤のメンタルトレーニング理論という科学を、音楽演奏という芸術の質向上に活かそうとしていますが、フルトヴェングラーの言うこの普遍論争を出来るだけ意識して、メンタルトレーニング理論の支配力を強めるために音楽演奏を使うというような本末転倒なことだけは避けなくてはならないと思いました。。。
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