--- 小澤幹雄 『対談と写真 小澤征爾』 p. 54. 新潮文庫 (1982)
これは、小澤征爾-ボストン交響楽団の日本の音楽記者向け来日記者会見(1978年3月15日)の小澤氏の言葉です。
記者会見という公の場で、個人的なことをオープンに話していますよね。
ここからも小澤氏の人柄がうかがえると思うのですが、「音楽は非常に個人的なもの」と言っている小澤氏のことですから、一人の音楽監督として個人的なことを話すのは音楽の本質そのものに適っているという信念 (自発性?) にそっているだけに、文字をここで読んでいるだけでも、とても自然に聞こえてきて説得力があります。
このブログで引用してきた一流の音楽家のなかで「生死」に関する言葉を話した人はこれまでにどの位いるのでしょう。
バレンボイム、ミケランジェリ、モーツァルト、パヴァロッティ、武満徹氏。
これらのメッセージだけでも、やはり「音楽=人生」であり、「音楽=生死」であり、音楽をやるにあたって「生きる/死ぬ」「意識/潜在意識」を外して考えるわけにはいきませんね。。。
つまり「生」の行動としての、豊かな創造力を育むことや、音楽演奏の上達や、その発揮のために、そのメンタルに「スピリチュアル」な部分は欠かせないということです。
「死 (静寂)」を感じることで、今の「生 (音)」が濃密に感じられ、「死 (静寂)」の存在を忘れると、今の「生 (音)」が薄くなってしまうのですから。
しかし、欧米の認知行動理論生まれでスポーツ界育ちのメンタルトレーニングは、この「スピリチュアル」というのを排除する傾向があります。
科学は、証明できない「わけ分からないもの (非論理)」は外して「わけが分かっているもの (論理)」だけで考えようとしますよね。
小澤氏は「死を身近に感じて生き方が変わった」と言っていますが、これは皆さんも心当たりがあるのではないでしょうか。
というよりも、今この瞬間瞬間刻一刻と私たちは「死んでいる」わけで、身近すぎるほど身近とも言えません?その「死んでいる」ことを忘れさせているのは、自分の騒がしい「意識」ではないかと思うのです。
多くの一流音楽家が言っている「音楽=生死」を念頭において音楽家のためのメンタルを考えるならば、自分の音楽に変革を起こしたいと思う時、「死 (静寂) を身近に感じて音楽が変わる」ということを考える必要があると思います。
ミケランジェリが表現対象として言っている「ほかの世界からやってくる何か」は「死の世界」のことか、自分内部の「潜在意識」のことかは分かりませんが、いずれにせよ「黙っている」ものなのでしょう。
小澤征爾―対談と写真 新潮文庫/小澤 幹雄

¥571
Amazon.co.jp