芸人になった以上は、いい芸をしてお客を喜ばさなければゼニにならず、食べていけない。この世界は芸人としてのきびしい一生です。親もそれに耐えられる自信があり、子もそれを望むなら、許すといいでしょう。
自分で「芸人」と思っている者の仕事が、人の魂を感動させ、それで「芸術家」と他人さまが呼んでくれるのは大いにけっこうです。しかし、それはあくまで他人が評価することであって、音楽家自身は、あくまで「芸人」という自意識をもつべきだと思います。"
--- 岩城宏之 『岩城音楽教室』 p. 166-167. 知恵の森文庫 (2005)
これは、プロの音楽家を目指す子を持つ親向けに述べた言葉ですが、大人の音楽家でも「セルフコーチ」として学べるのではないかと思っています。
まず「芸人」という意識を持ち、芸を売ってゼニを稼ぐこと、それが音楽家だと。
私は「芸人」というとすぐに「お笑い芸人」を思い出します。しかも真っ先に、ある人 (お気に入りは二人いるのですが!) の「話芸」を具体的に思い出してしまうのです。
それは「人志松本のすべらない話」の中のある話なのですが、その話がとても面白くて好きで録画を何度も繰り返して見るくらいで、全てその「話芸」のテキストを覚えてしまうくらい見てしまっています (おーい、歌の練習せーよ!)。
ある日、ふと気付いたのですが、この「話芸」に対する私の見方は、クラシック音楽の演奏に対する見方とほとんど変わらないんじゃないかということです。
もう、何を次に言うか分かっているけど面白い!んですよね。これって、どのような音を次に弾くか分かっているけど何度も何度も聞いてしまうホロヴィッツのCDを聴いているのとあんまり変わらないんじゃないだろうかと思うのです。
すると、その「お笑い芸人」さん達が裏で積んでいる「話芸」の練習に思いを馳せることになって、どうやって練習しているのかは知らないのですが (音楽家のためのメンタルトレーニングを考えるなら芸人さんの本も読んで知っておくべきですかね?)、あるテレビで映していたネタ合わせは壁に向かってひたすら話すというものでしたね。
これって、クラシック音楽の練習室の状況と何ら変わるところはないわけで、「そうだよなぁ。お笑い芸人って言ったって、パッとお客様の前に出て来てアドリブでサクっとやれるわけないよな。もちろん、ジャズのようなアドリブもあるかもしれないけど、大体は一字一句、楽譜の音符のように決まっているテキストを正確に、そして新鮮さを持って生き生きとしゃべっているんだなぁ。」と当たり前のことに妙に納得してしまったりします。
そうです。お笑い芸人はクラシックの音楽家と構造上あんまり変わらないのです。しかも、お笑い芸人さん達は、自分で作ったネタを (作曲した曲を)、暗記して (暗譜して)、自分で披露する (演奏する) のです。
完全に「お笑い芸人」はモーツァルトじゃないですか!すごいことやっていますよね。
ところで、、、、、メンタルスキル的に気になるところと言えば、やはり、その芸人さんたちのモチベーション (動機) です。
内発的動機か、外発的動機か。。。「話芸」をする喜びか、ゼニか。。。
極度に貧しい状況にいる芸人さんという話もあるくらいなので、「話芸」をするやる気はゼニという外発的動機で駆り立てられているところは強いのでしょうか。
ここで内発と外発の違いを整理すると、行動すること自体が目的となっているのが「内発的動機」で、行動が何らかの報酬を獲得する手段となっているのが「外発的動機」。つまり、その行動が、目的なのか手段なのかという基準で分けることになります。
人が行動する時には様々な動機がありますが (一つの動機も無い、非動機付けというケースもありますが、それはここでは横においておきます)、音楽家であっても芸人さんであっても大切なことは、自分の頭のなかで今のその自分の行動が「内発的」なのか「外発的」なのかできるだけ認識して (目的と手段をクリアにして)、どのような動機なら自分が本番や舞台で最もやる気が出て「集中力」を発揮できるか知る、そういう意識が必要ではないでしょうか。
ゼニという報酬によって「集中力」が増す人もいれば、演奏や話芸といった行動によって自然に「集中力」が増す人もいるでしょうから。
また、ここで岩城氏が述べている、「芸人」という自意識を持て!他人さまが「芸術家」と言うなら多いに結構!ということは、本番で観客を喜ばし心の奥底でコミュニケーションを取ることができる「芸」に集中する自意識 (メンタル) を鍛えなさい!そのために他人からの評価という「外発的動機」は自分の中でしっかり区別しておきなさい!ということではないでしょうか。
岩城音楽教室―美を味わえる子どもに育てる (知恵の森文庫)/岩城 宏之

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